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私の人生の1幕目は、波乱万丈であった。 敗戦色の濃くなった時期であれば、 日本の庶民全員が、苦しい生活を余儀なくされていた。
母のない幼子は、 社会の冷たさ、 他人の冷血さを否応なく、全身で感じてしまうが、それを理論整然と、誰かに訴えることもままならない。
私が12歳の時、頼りにしていた唯一の14歳の兄をも、亡くしてしまった。 実の父は、再婚、新家族を作り、当時は大阪と言う、子供の目線で見ると、遠方に住んでいた。
孤児院に入れられることなく、 祖父母の家で生活できた事は幸いだった。
ひねくれた、暗い性格の人間がいつのまにか、出来上がっていた。
中学、高校時代、「不良になる条件は、完璧に揃っている。」と、町を一人ふらつきながら、思ったものだ。
読書と音楽が、私を普通の世界に、留まらせてくれた。 本の虫と言われるほど、 我武者羅に、本の中に逃げ込んだ。
自分の生い立ちの辛さを忘れるため、本の中に没頭したのだ。 逃げ道があって、本当に命拾いをした。
高校時代、合唱部に所属、女子三部合唱中、全ての悩みを、一時的にせよ忘れて、自分の心が嬉しそうに、踊っていることに気がつき、 ある意味で私は救われた。
音楽の不思議な力が、悪の囁きに溺れず、 「何とか普通の生活を、維持することに成功した。」と、今は思える。
人生はある意味で、新幹線のように、超スピードで過ぎさり、我が人生の2幕、3幕も気が付けば、過ぎ去っていた。
誰の人生も、4幕はあり、どの幕で悲劇に会うかは、人それぞれだ。
私の場合は、自分で統制出来ない、1幕目が一番厳しく、 徐々に明るい方向に、我が人生は向いていった。 有難いことだ。
ただ、三幕目終盤近く、夫が認知症と診断され、 それから、徐々に緩やかに悪化する認知症と向き合いながら、2017年、夫が75歳になる数週間前に、15年近い病気との戦いの後、彼は天国に召された。
病状が軽い初期、中期は、まだ正常さが彼の中に残留していて、自分が少しずつ記憶力、認知力が衰えつつある事実を看過、悲しさのあまり、 普段泣いたことのない彼が、涙を流していた。
今振り返ると、独り身になった今が一番、心も安定して、平和な気持ちである。
優しい海風が、散歩中の私を、優しく包んでくれている。
今は、「良い人生をありがとう。」と言う気持ちで、毎日過ごせる私は、幸せ者だと思う。
「自分の幸せは、自分の責任で掴むのだ。」と、人生の後半にやっと気がついた。 周りのせいでは無い。 環境のせいでもない。
自分が、自分の教師、母親、友達、指導者、医者全てになったつもりで、 自分を守り、叱咤激励し、時にはそっと褒めて、ご褒美をあげるぞ。
自分の残りの人生を、出来る限り有意義に過ごせるよう、自分の責任で、自分を導く事が大切なのだろう.