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ワシントンD.C.もそうであったが、 ホノルルも人の出入りが頻繁だ。 新しく入島した人は、自助努力で、 ホノルルに住んでいる人と知り合いになる努力に余念が無い。
私もその一人。 ビビナビという便利な現代兵器を使い、知らない人と会う約束をしてみる。
「危険である」とも、言えるが、 永遠に孤独地獄に誰も埋もれていたくない。
仕事のある人は、仕事を通して知り合いを増やす可能性はあるが、それも諸刃の剣である場合が多い。
会社内の人間関係の難しさに辟易としている人も多い。収入が必要であるから、ややこしい人間関係にも関わらず、なんとか日々仕事を続けている人も多い。
私のように退職した上に、新しい土地に越してきた場合は、意識的に他者と会う努力も必要なのだ。
振り返って見ると、私の人生は移動の多い人生であった。 義理の母のいる家に居づらくて、 二度程家出もどきの経験さえあった。
米国に移住後も、日本とアメリカを数度移り住んだ。 今振り返ると、色々理由づけはできるが、日本時代仕事も良く変えていた。
1980年代の初め、 夫の仕事の都合で、家族がワシントンD.C.郊外に住み始め、偶然、国務省言語課で通訳の試験を受け、同時通訳者としての認定を受け、その仕事に落ち着いた。
とは言え、通訳者は自由業、一つ一つの仕事は完結していて、いつ次の仕事が入るかの保証は全くない。人間関係もいたって淡い。 ほとんどの場合、仕事が終われば二度とお会いする事もない。
運良く、曲がりなりにも、35年ほど通訳業務を続けることができた。
でも、考えて見ると、通訳業の人間関係は短期間で終わるものばかりだ。 深い人間関係構築の可能性がいたって少ない職業だった。 しかも、それが私の個性に合っていたようにさえ思う。
高齢化してから、新地へ移動すると自分で決めた上 このホノルルで少しは人間関係らしきものを作り出そうと努力中だが、 21世紀も20年以上過ぎて見ると、情報技術の進歩も急速で、 コビッドの影響などもあり、孤独な人の数が急増しているような印象を受けている。