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人生の醍醐味 200 日本語教室

Image by Olia Gozha

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ホノルルは不思議な土地柄だ。 多種多様な人々に会える。


私自身も信じられないが、 インターネットのお陰で、 米国海軍士官の無料日本語教師もどきを、週一ですることになりそうだ。


同じ建物に住む住民用の連絡網に、「日本語を学びたい」と言う、海軍士官の要望が掲載されているのを発見、返信してみると、早速、その土曜日の午前11時に、近くのスーパー前のテーブルで日本語教室開催となった。


その方は、父親の仕事の関係で、10年近く香港で生活していたと言う。


生まれはマサチューセッツ州のボストン近郊と聞き、思わず、「亡き夫はウスターと言うボストン近郊で生まれ育ちました。」と、私は反応した。


日本語の能力は、中級に近い初級であることが話しているうちにわかった。 ただ、香港生活経験者だけに、少し漢字が書けて読める。 


英語と日本語のチャンポンで、一時間の会話が続いた。 もと、国際会議通訳者である私は、 割と自由自在に両言語を操れたので、 意思疎通には全然問題がなかった。


「バージニア州のアナポリス海軍士官学校を卒業した」、と彼。


35年ほど、メリーランド州のベセスダに住んでいた私は、港町のアナポリス(メリーランド州)に何度か行った事があった。 自動車で小一時間ほどで行ける距離だ。


その上、通訳の仕事で海軍士官学校内の会議室で、自衛隊代表団の通訳をした事もあった事を思い出した。


5年ほど海軍で勤務、来年の9月を目処に、民間企業で働く予定だそうだ。


「エコノミック ヒットマンになる可能性もなきにしにあらず。」と、私は思わず口を突いた。


彼は、「投資家になるのが夢だ。」と、27歳の若い顔を輝かせている。


軍人経験者が経済分野に乗り出すと聞けば、 偶々、今読んでいるジョン パーキンズ氏の「Economic Hit Man」や「Touching The Jaguar 」の内容が私の頭の中で踊り始めた。


79歳も後一ヶ月弱で終わる日本生まれの女性と、前途洋々たる27歳の若い米国人男性の思いがけない会話が続いた。


しかも、偶然が重なり、同年齢の夫と私が結婚したのが27歳だ。  彼の若々しい姿は、半世紀以上前の、我々を彷彿と思い起こさせてくれた。


両者の自由意志で決める事であるので、 私は一度きりであろうと想像していたが、 あにはからず、青年からメール、来週も日本語教室再開となった。


しかも、数回のレッスンが続く内に、彼は4代目海軍士官だと言う事も判明した。 曽祖父の時代から、「代々海軍士官をしている。」との事だ。


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