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摩訶不思議なインターネットのお陰で、偶然ゆっくり中近東の古典音楽を聴いた。
10年以上前に、エジプトを旅行した事があったが、 エジプトの市場のそばを通りかかり、エネルギーあふれる市場の光景を、目撃する事ができた。
音楽は言葉を介さないで、直接人間から人間へ伝播する、不思議な手段でもある。
じいっと聞いていると、中近東の人々の「悩み、悲しみ、苦しみ、嘆き、 恨み、つらみ、 憧れ、崇拝」と言った、人間が抱く全ての感情が音楽を通して、私の胸に直接突き刺さるように感じた。
私が生まれ育った日本は米国の同盟国で、長年の友好国である。 大帝国的態度で、全世界にたこのように触手を伸ばし、他国をがんじがらめにしているようだ。
石油をがぶ飲みする西洋諸国や日本は、中近東の石油を購入し続けて、中近東の一部の上層部の懐をやたらに太らせているが、中近東の庶民の生活は、長年、貧しさから抜け出せないでいる。
中近東の国々の言葉は全然わからないが、 中近東の音楽に長時間耳を傾けていると、私は良心の咎めを感じてしまう。
仙台の茅葺き屋根の家で育った、ごく普通の日本生まれの人間であり、中近東の人々に直接悪いことなどしたことはない。
けれども、現在世界を支配している、多国籍企業先導型の経済のど真ん中に住み、長年曲がりなりにも仕事を続け、双六であれば、無事上がりの場面に遭遇している幸運な一人ではあるが、知らぬ間に、中近東の無数の人々に、苦しい生活を強いて来た責任の片棒を、担いでいたのかもしれない。
高齢化して、気候の温暖なホノルルに越して来て、 夫のいない一人っきりの生活は寂しいと言えば言えなくもないが、 新築のコンドの一部屋に住み、衣食住の心配がない、日々をおくれていることに感謝したい。
私自身は自分から自動車の運転を断念し、市バスを利用している。地球温暖化防止とガソリン浪費を減らすため。
とは言え、16歳を過ぎ目を輝かせて車の運転免許証を取得、車の運転を始めた若い人々を責める権利など全くない。 40年ほど米国本土で私も車を乗り回して来た人間だから。