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ユーチューブを見過ぎたり、聴きすぎると、知らぬ間に自分の意見が片方に傾き過ぎる傾向がある事に気がついた。
日本や米国と言った一国だけを取り上げても、 所詮人間は小さな存在、どんなに頭脳明晰であり、学問をおさめたとしても、 客観的に、正しく各国の現状を理解することは、至難の業である事を痛感した。
ではあるが、 諦め切って両手を上げてしまうのも、惜しい気がするので、 自分の考え方は、読む本、聴く講義、出会う人々等により、コロコロ変わる事を認めて、「絶対にこの考え方、この判断が正しい」と、主張しすぎないよう気をつける事にした。
と同時に、意識的に意見が対立、考え方が正反対である本、講演などを積極的に両方聴き、 容易に自分の意見が偏りすぎないよう気をつけている。
この世には、一つだけの正解があるのでは無いのだろう。 各自の年齢、職業、家族構成、学問の程度、付き合っている人々その他諸々の理由で、人はその人独特の物の見方を身につけてしまうのだ。
最近、ユーチューブを見過ぎ、聴きすぎ、自分の意見が偏りすぎ始めていると感じ、わざと、現在の自分の意見に真っ向から対立する学者の意見に、傾聴している。
教育程度の高い方であるから、 理論整然としている。 私が見落としている見解を見事に展開している。
内容は、現在話題を呼んでいる「白人優越主義」を擁護しているのだ。
歴史的に長く続いた人種差別の大問題、相次ぐ米国警察の黒人に対する暴挙等から、「白人は歴史的事実に対する反省が少なく、現在も未来永劫、白人こそが人類全体を支配する権利があり、優位な立場を保てるような法律を、白人指導者達が、制定する傾向がある」と、私も信じ始めていたようだった。
ある意味、時代の流れに流されていたとも言える。「盗人(ぬすびと)にも三分の理」と言う諺もある位である。
また、「理屈と膏薬はどこにでも付く」と言う言い伝えも存在する。
政治的に保守的で右寄りの人々は、 そのような人々独特の無数の理屈、理論を並べ立てる事もできるし、その反対も然りである。
人間は容易に影響を受け易い動物である事を肝に銘じ、 東洋で古くから言われている中庸の道を細心の注意をしながら、ゆっくり一歩一歩進んで行きたい。