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21世紀の、ホノルルにある私のスタジオ(一部屋)は、 日本の900年程前の、庵に近いのかもしれない。
もっとも、 人里離れた静かで寂しい場所には、住めない人間だと自己評価している。
方丈記の作者鴨長明は、 50代頃から、世捨人になり、小さな4畳半位の小屋に一人で住み、当時の世間の様子並びに自分の心境を、随筆として、書き残している。
新聞記者のように、 自分の足で現場に行き、自分の目で事情をよく見て、書き上げた随筆である。
インターネットのNHK ラジオ放送で、成蹊大学浅見和彦名誉教授の日本古典講読で、詳しい説明を、一日中集中して聴き入った。
平安時代末期から、鎌倉時代の随筆で、 日本の歴史の大変動期であった。
今は21世紀、しかもオアフ島のホノルルに住み始めて3年になる私が、方丈記に集中出来た事は有難い。
徒然草、枕草子と並ぶ、古典日本三大随筆の一つに心を集中した。
もともと、 米文学、英文学を専攻した人間で、読書は割と好きであったが、日本の古典は、国語の教科書内で学んだ程度で、 自分から初めから終わりまで、全文を読み通した作品はなかった。
山下さえこさんという方が、方丈記の現代語訳を朗読しているのを、ユーチューブで聞いた。
最近、 私は他のユーチューブで、地球の温暖化問題、経済格差の増大、福島原子力発電所の爆発事故、放射能汚染、世界情勢の緊迫感など、 専門家の意見を拝聴すればするほど、 暗い気持ちに落ち込みがちであった。
900年前も、自然災害、人災、戦争、津波、火事、竜巻など、日本人を苦しめた事件が、多々起きたのだ。
それでも、 900年後、人々は何事も無ったように、日常生活に忙しい。
方丈記では、 平清盛は京を京都から福原(今の神戸)に、還都する事を決定した。
京都の大火災で、中心地の三分の一が、焼野原になったすぐ後だった。
でも、 大多数の反対で、最終的に、平清盛は、 自分の主張を撤回せざる得ない事になった。
しかも、 平家打倒の不穏な動きが見え隠れし始め、人民の心が不安に苦しんでいた。
悪い事には、 飢饉にも襲われて、食べ物も十分なくなり、 結果的に餓死する人が増えていた。
人間の苦しみは、どの時代にもあったのだ。 その結果、大勢の人々が、命を落としたが、生き残った人々は、必死で人生を立て直して、21世紀を迎えている。
21世紀に入り、もうすぐ21年過ぎる。 時事問題を聞きすぎて、心が弱ってしまった私には、 方丈記は、偶然、生命力を強化するための、火付け役を果たしてくれた。
長いスパンで、物事を考える事の大切さに、気づいた。
50代の頃、貴族で神官の後継のはずであったが、 事情があり、鴨長明は隠居生活を選択、 人里離れた山の麓で庵を組み、随筆を書き上げる。
人生の無常を受け入れ、人間界の出世を諦め、世間から離別して、小さな小屋で、孤独な老後を過ごす。
鴨長明は、大火、地震、洪水、旱魃、竜巻、戦争など、 打ち続く惨事に、人生の無常を悟る。
住み慣れた東海岸から、一人ホノルルに移住してきた私。 21世紀 風庵に一人住み、老後を過ごしている。
思いがけず、 900年も前、62歳で亡くなった鴨長明に、親近感を覚えた。
人間が出来ていない私は、14年も鴨長明より長生きしているにもかかわらず、まだまださとりの段階への道のりは、遠そうだ。
新移住地で、人間関係構築だと叫びながら、 ミートアップに顔を突っ込み過ぎた。(COVID-19の前)
ホノルル生活も2年10か月過ぎた今、少しは鴨長明にあやかり、孤独に耐え抜いてみるのも一向だ。
仏教の根底にある無常感、 これこそが、矛盾するようだが、 強く生き抜くための妙薬なのかもしれない。


