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人生の醍醐味 182 アリゾナ号

Image by Olia Gozha

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真っ青な太平洋、地平線が真正面に延々と広がっている。  大自然の中にいる事で、一人の人間の小ささを考える。 


ハワイの空、ポッカリ浮かぶ雲。 海風が優しく吹き抜ける。 こんな日々が大好きだ。  


ホノルルの八月の太陽は強く照りつける。 大きな木陰を一時的居間として、座り込む。 


木陰にさえいれば、 海風のお陰で、涼しくて過ごしやすい。 


誰の人生もそうだが、 人生では失敗も多い。思い通りにいかなかった事も多い。


でも、落ち着いてゆっくり考えてみると、嬉しかった事、良かった事も山積みだ。


後1ヶ月で79歳になる。 今のところ、平均して、一日に1万歩近くを何とか保っている。 


米国の親戚中が集まった時等、亡夫の叔母達が良く言っていた。


「私達、心の中では20歳の気分なのよー。 ワハハ。」 私も時々同意したくなる。  


今頃になって、 彼女らの気持ちが少し分かる気がする。


夫は親孝行な息子で、 クリスマスのような祭日は、どんなに気温が低く、雪が降ろうと、ワシントンD.C.から、ボストン郊外まで、車で9時間近くかけて、途中で タイヤに鎖を取り付けるような嵐になっても、 自分の両親の家を訪れた。 


母方の親戚も集まったので、すぐに20人位に増えたが、部屋数が13もある大きな家であったので、 大家族的ムードを楽しめた。 


夏休みは広い裏庭の木陰で、親戚中がお喋りを楽しんだ。


全員背の高い白人の中で、私だけが日本生まれの書類上のアメリカ人。 


背が低いため、谷底のように感じた。 皆んなと話す時、首が痛くなるほど見上げて話していたからだ。


物は考えよう。 我が第二言語の英語で、英語を第一言語とする人々と、良い英会話練習を、しかも無料で、十二分にさせていただけたのだ。 


その上、父上、母上は高校の言語教師だ。 末の妹さんも、移民の生徒達に、英語を教える先生だった。 


と言うことは、最高の先生方に囲まれ、1人っきりの生徒が四方八方から、教養の高い英語にどっぷりと、浸かっていれたと言うことだ。 


夫を始め、彼の親戚全員、日本語力はゼロであった。 英語勉強には最高の環境ですぞ。


流石に我が夫殿は、合計5年半位、日本に住んでいた経験があったので、 「ビール 3本」と、酒屋さんで一人で、買い物ができる程度の日本語は話せた。




忘れもしない。 生まれて初めて、夫のご両親宅を訪れた日。 1972年当時、 我々はカリフォルニア住まい。


夫は妻(私)を紹介しようと、 娘と一緒に、米国を飛行機で横断、私は生まれて初めてボストン郊外を訪れた。


米国では、親戚同士が会えば、ハグ(軽く抱擁)するのが習慣だ。 


夫の母上が優しく私をハグしてくださった。 次は父上の番。 小さな声で”I don’ t want to discriminate” と独り言を言いながら、軽く私をハグしてくださった。 


私は地獄耳の持ち主。 しかも、当時、カリフォルニア州立大学の母親大学生、”discriminate “ の意味は分かった。


第二次世界大戦中、父上は海軍に属し、 しかも、1941年12月7日の真珠湾攻撃の日、 偶然アリゾナ号を下船していて、命拾いをしたと言う話を聞いた。 


父上の独り言は、蚊の鳴くような声であったから、 周りにいた人々には、多分聞こえなかったと思う。 


1941年12月7日、我が夫殿は、その時、母親のお腹の中で、5ヶ月だったと言う。 


同じ海軍の独身の親友が、「妊娠中の奥さんのところにいるといいよ。」と、代わってくれて、その人はアリゾナ号と共に、海の底で死に果てた。




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