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人生の醍醐味 178 恋人

Image by Olia Gozha

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考えてみれば、私は文化の狭間に長年生きてきた。  


日本という国の壮大で長い歴史、文化がある。そのこと自体、大変素晴らしいことだ。 


当然であるが、日本という独特の文化を、大切に継承して行く次世代が、絶え間なく成長し続けている。


ただ、地球規模で見ると、他の民族の、歴史も有れば文化もある。 


「多種多様な文化、歴史を、同時に知ろう。」と、努力することも、新発見があり、心を活性化してくれる原動力になる。


私の場合は、約合計31年間日本に住み、残りの47年間は偶然が重なり、米国で生きてきた。 


第二言語を、日常会話の言葉として生きていると、時々、息苦しい気持ちになることもある。移民1世の宿命だろう。


ある意味で、結果的に、日本を脱出してしまった。無意識下の原動力は、幼少期に、一番必要な母の愛の飢えにあったのかもしれない。


秘めた優しさもあったであろうが、頑固親父で通した父の優しさを、子供心に全然感じられなかった。


孤児同然の境遇であった私が受けた数々の、社会の冷たさに嫌気がさし、 隠れ家を探したのかもしれない。 


知らない国ではあるが、「自国よりはましかもしれない。」と、勝手に想像した事が、私の背中を無意識の内に、押したのかもしれない。


人間の本当の動機は、なかなかそう易々と分かるものではない。 



ほとんど同じ時期に、偶然、大学卒で同僚である日本人男性から、結婚の申し込みを受けたが、母一人子一人の家庭に、飛び込む勇気がなかった。


その上、職場の上司を通しての、間接的結婚申し込み方法に、私は不満だった。 


たぶん、その当時の社会慣習であったのかもしれないが、本人自身が、直接、私に申し込んで欲しかった。


勿論、 それでも、母一人子一人と言う状況は変わらないから、私の答えは同じだったかもしれぬ。  


よそ者である私が、 「村生活に溶け込めるか。」と言う、不安もあった



アメリカ人の夫になった人は、全て自分で体当たりした。  


初めて会った時から、数回のデートの時、一番良く話してくれたことは、彼の家族のことであった。  


愛情溢れた家庭生活を、知らなかった私には、父、母、兄弟姉妹の揃った、彼の家族に関する彼の話し方で、幸せな子供時代を過ごした人だと理解した。


彼の祖父母、叔父様、叔母様、従兄弟従姉妹達についても、楽しそうに話してくれた。 


ピックニックに、手料理の昼食をバスケットにいれて、友人達とハイキングに行った時も、ごく自然に、その重い荷物を持ってくれた。 


米国に帰国後も、定期的に絵葉書や、誰にでも見せられる、新聞記事のような手紙も、送ってくれた。


米国で働いていた新聞社を辞め、日本で職場を見つけ、再度日本語も話せないのに、自分で決断して、勇敢にも飛んできた。


運良く職場は、ジャパンタイムズ紙で、英語を扱うので、仕事上は、日本語ゼロでも入社できた。 


結婚後も、私が庭付きの家欲しさに、「米国に住みたい」と、無茶を言うと、あっさり賛成、本当に行動に移してくれた。 


子供が5歳になると、「日本文化を教えたい」と言う、またもや私の難題提示に賛成、さっさと日本で仕事を見つけた。  今回は、共同通信海外部勤務だ。


4年後、再度米国で生活、今度は東海岸。 たまたま、私の仕事は、出張が多かったが、夫は至って協力的だった。 


彼の母上も、子供を4人産んでから、暫くして、高校の教師になっていた。 60代のはじめ、大学院の夜学に通い、修士号まで取得した才媛だ。


そんな関係か、我が夫は女性の社会進出に、とても理解があったのだ。


25年以上、 我が家は二人で収入を得る努力を継続、娘はその間、運良く、すくすくと成長していた。



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