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人生の醍醐味 175 兄

Image by Olia Gozha

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たった14年しか、この世に存在しなかった兄。私が生きている限りは、兄の面影は、私の脳裏にちゃんと残っている。


兄が10歳の頃だったろうか。 当時、私はぼんくら者で内弁慶の8歳。  


何処で見つけたのかは知らないが、大きなU字型の磁石に、丈夫な長い紐をくくりつけ、 祖父母の自宅の近所を、引っ張り歩いて、古釘、古鉄などを集め回っていた。 


それを屑屋さんに持って行き、なにがしかのお金に変えていた。 


我が家の向かい側に、古びた駄菓子屋があった。 店番をしていたのはお婆さんだった。


そのお金で、カバヤキャラメルをたまに買って、 中に入っていた付録の券を、一生懸命貯めていた。 


近所の友達の券も貰っていたようだ。  十分貯まると、指定の宛先に送り、希望の本の名前も書きそえておくと、 その本が送られて来た。 


女の子が好むような本ばかり、兄は選んでいた。「秘密の花園」、「小公女」、「小公子」、「アルプスの少女」と、言った類だ。  


私は同じ本を、何度も何度も読んだ。 内容をすっかり覚えてしまうほど、繰り返し読み返した。 


次の本が到着するまで、 随分時間が掛かったからだ。


兄だって、たったの10歳か11歳、 絶対自分の本だって欲しかったろうに。  


内向的で、一人で過ごす傾向にあった私の事を、子供心に心配して、苦労して貯めた全ての券を、私のために使ってくれた。  


たまには、向かい側の駄菓子屋で、 きな粉でまぶした飴を、買ってくれた事もある。 


これは、祖父母に内緒の行動だった。 スリル満点で、とても甘くて美味しかった。 


私は25歳まで、虫歯無しであった。 歯医者さんが冗談に、 「あんたは歯医者の敵だよ」と笑っていた。  


祖父母の家は現金が少なく、畑で取れない御砂糖は貴重品であった。 


砂糖が料理に、どうしても必要な時もあるので、 買ってはいたが、壺に入った砂糖の管理は厳しく、 祖母が注意深く管理していたので、子供の我々には手が出せなかった。  


兄が月に1、2回飴をくれた時、宝物のように、大切に味わったが、それは直ぐに、口の中で溶けてなくなった。 


時々、 「兄が生きていたら、日本に親近者がいて、付き合いもきっと、緊密にしていたかもしれない。」と、思う事もあるが、 運命を謹んで受け入れる気持ちも、今はある。


でも、日本で合計31年ほど生活をした私は、日本が大好きだと言う気持ちを持っている。 


日本の食べ物に目が無い。 日本の書籍も大好き。 


カリフォルニア州に6年住んだ後、再度日本生活を始め、「日本とはなんぞや」と、改めて興味深く、日本の伝統的芸術などに興味が湧いた。


今回、35年も長く東海岸に住み、ホノルルに引っ越して来た。 


ホノルルには、150年前から、日本からの移民が入植、苦労を重ねて、 独特のハワイ文化を、他の民族とも協力して、作り上げて来た。  


その結果、私にとって、とても住みやすい環境が、いつのまにか整っていたのだ。 


先人の苦労に、感謝の気持ちで一杯だ。 日本から、 遥々ハワイまで働きに来ている人々も多いし、もちろん、日本からの観光客も多いし、語学研修の学生も多い。


日本とアメリカを同時に楽しめる、 私には、打ってつけの場所だ。 


すべてに、感謝できる境遇になれたことを、心底から有り難く思う。

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