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夏目漱石は1867年、江戸時代最後の年に、5男3女の末っ子として生また。
生後間もなく里子に出され、一年ほどで生家に戻るが、翌年、塩原家の養子になった。
養父母が離婚した為、再度夏目家に戻るが、戸籍上正式に夏目と名乗れるまでに、長い月日を要し、20代の始めやっと実現する。
四国の愛媛県で英語教師を一年間勤め、翌年は熊本高等学校講師に赴任した。
「草枕」は、 熊本県での生活を土台にしている。 「草枕」の出だしの文章は有名だ。
「智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。意地を通せば …..」といった文章は40年以上、米国生活を続けた私の頭の隅にさえ残っていた。
2歳前に母がなくなり、継母とは軋轢が絶えず、 再婚した父を離れ、宮城県仙台にあった父方の祖父母の家に住み着いて、やっと私は子供らしい生活を楽しめた。
それだけが究極の理由であったとは思わないが、「意地を通せば 、何とやら」で、外国生活を無意識の力に押されて、選択したのかもしれない。
時代もちがうし、地方も、九州と東北と言う差異はあるが、主人公が転勤先の近くを、散策して歩く気持ちに、共通項が無いわけではない。
峠の茶屋のおばあさんとか、温泉宿の娘さんとか、蚊取り線香、石臼など、 日本を彷彿と思い出すような描写が多い。
「草枕」は、 随筆の一種であろうが、 美文口調で、 漢文、俳句、西洋文明の断片が散りばめてある。
まるで、明治時代の知識人の頭の中を見るような気持ちで、興味深い。
この旅行文的随筆は、 作者が画家という設定になっていて、写生旅行で、始めての土地をのんびり見学しながら、 写生をしたり、俳句や時には五言絶句など漢詩も書き、旅先で出会った人物描写もある。
ふと出会った地元のごく普通の人々に接しても、詩情を呼び起こさせたようだ。
夏目漱石30代始めの若々しい目で、日本の地方での生活を、ある時は客観的に、ある時は浪漫的見方もしたようだ。
20世紀の始め、世界の主義主張の流れに、作家が若い故に、より敏感に反応したのだろう。
温泉宿の娘さんは、 一度結婚したが、 夫の勤め先の銀行が潰れ、 生活の先行き不安もあり、実家にでもっどってしまった。
御多分に洩れず、小さな地方の事、その女性に対する噂は忽ち広がった。
昔、房総半島にある三芳村で、短期間教師をした経験があるが、 噂の広まり方の速さに関しては、実体験があった。
(続く)