top of page

人生の醍醐味 170 映画

Image by Olia Gozha

170


バス一番で、カハラモールに直行。  コビッド以来、2年ぶりに 映画を映画館で観る事にした。


早や、ホノルルに移住後3年半、過去に2、3回カハラモールに行ったことがあったが、 昨年の10月に引越した関係もあり、新しい場所から、どのバスで行くのか調べた。


翌日の朝、前日調べておいたバス停とバスの番号に乗車した。


「Coda」と言う映画鑑賞が目的だ。 2年ぶりの映画館内。 観客もまあまあで一安心。


映画の内容は、 耳の聞こえない夫婦と長男、幸いに末っ子の女の子は正常者だった。  でも、子供の頃から、家族の為に、アメリカの手話を健常者に通訳をして、家族と社会の意思疎通を手伝っていた。


父親は漁師で、 小型船で海の沖合に出て底引き網を使う漁業に携わっていた。


娘も朝3時には起きて、父親と兄と一緒に船に乗り、漁業を手伝い、釣り上げた魚を魚市場で売り捌く時の通訳も務めていた。  


魚臭い洋服のまま、仕事後学校に駆けつけたが、 遅刻の常習犯だった。


たまたま片思いの同級生が 入った部活である合唱団に入った。


部活の指導教師に音楽の才能を見出され、高校卒業後の進路として音楽学校を推薦した。


貧困世帯に近い家族を思うと、大学進学は不可能と諦めかけていたが、 音楽教師は奨学金で勉学続行の可能性を教えた。


懇切丁寧な教師の指導の元、練習に練習を重ねて末っ子は徐々に音楽で身を立てる夢を膨らませるが、 父、母と兄まで聴覚障害者であるため、健常者である末っ子が社会と家族をつなぐ通訳の役割を担っていた。


ボストンにある音楽学校に入学すれば、家族と別れて暮らすことになり、通訳の役割を果たせない。


初めは、音楽学校進学に躊躇していたが、 聴覚障害者である兄が賛成側にまわり、末っ子の進学が決まる。


音楽学校の入試に成功、家族と分かれて生活することになり、ボストンに出発して映画は終わる。


普段の生活で、健常者は自分の生活に忙しく、聴覚障害者の日常生活の大変さを想像もしない場合がほとんどだ。  


CODAはC はChild, OはOf、D はDeaf、AはAdultの略で、大人の聴覚障害者の子供と言う意味だ。


コビッド19のため、2年近く映画館から足が遠のいていた。  久しぶりに映画館の中。  しかも、心温まる良い映画鑑賞ができた。 アカデミー賞受賞作品だ。


←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page