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明治生まれの父は厳格な人だった。 母の無い私は幼少の頃、 子供らしく父に甘えたかった心があったが、 明治風な厳めしい父に、「甘える事は全然出来なかった」と、長年思っていた。
時の流れを経て、今改めて振り返ってみると、率直な甘え方ではなかったにせよ、 ねじれ捻くれた甘え方ではあったが、 実際、私も父に甘え過ぎていた傾向があった事に気がついた。
人間はこの世に出現すると、人間界の全てを、ほとんど無意識にスポンジのように吸収しながら成長する。
それだからこそ、成人した頃には、 人間界の中で、自立した生活が可能になるのだと思う。人間界の中での、生き方が身についているからだ。
当時の同世代の人々と比較しても、私は全ての面で奥手で遅れを取っていた。
この態度こそ、私が父に甘えていた証拠だ。 当時の同世代の若い人々より、経済力をつける点でもだいぶ遅れていた。 大人としての経済感覚がまだ研ぎ澄まされていなかった。
書物等を通して、頭の中では、「ああだ、こうだ」と、言った「一人前の考え方は持っている。」と、自覚していたつもりであったが、その態度こそが、甘えである事さえ気づかなかった。
私の甘えぶりは徹底していた。 結婚、子供が生まれて九ヶ月、今度はアメリカ人の夫に甘え、大学3年生の生活がカリフォルニアで始まった。
夫は年齢に相応した大人に成長していて、会社勤めを続けて収入を確保、私と娘を守ってくれていた。 私の根深い甘えの構造はそうやすやすと崩れなかった。
アメリカ社会に飛び込んだおかげで、遅ればせながら、 自立の大切さを身に染みて学んだ。
自立とは、すなわち、独立して経済的自立を完成させる事だ。
1970に米国にはじめて来た私は、離婚の嵐が吹き始めている事を身に染みて感じ、自分の不甲斐なさをまじまじと突きつけられた気がした。
「昼寝 三食付き」と言った甘い考えの危険さを痛感して、私は変わり始めた。
やっと、 30代に入り、あまり夫と遜色のない収入を得る事ができたが、それを維持するためには、 常に時代の変化について行けるよう勉強することが必須である事を悟り、退職した79歳の現在でも、「生涯教育」と心に中で呟き、私風に学び続けている。


