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人間は一人でこの世に顔を出して、 曲がりなりにも人生街道を歩み続け、 誰でも最終地点の死を迎える。
「生きるとは何なんだ。」とゆっくり心の中で反芻する頃には、死が目前に迫っている場合が多い。
生きる事に夢中の時代を長年過ごし、 ふとした時期に、急に哲学的気分に浸ってしまう事もある。
人生に余裕ができた証拠かも知れない。 この余裕を与えられたことに、感謝する気持ちが強い事に気がついた。
一人一人それぞれ、独特の人生を知らない間に醸し出し、 気がつけば、 自分の人生の大半は、もう過去のベールに包まれてしまっている。
どんなに嘆き悲しんでも、 その過去の客観的事実は変える事は不可能であるが、 過去の出来事の多くをどのように解釈するかは、 年と共に変化するから、ある意味で面白い。
現在が幸せであると、辛かった過去の出来事を思い出しても、以前ほど苦しく感じない。
むしろ、若い頃は「なぜ、あんなに苦しんでしまったのだろう」と、不思議な気持ちになる事さえある。
本当に人生は不思議だ。 人間の理解を超える摩訶不思議な事象なのだ。
人生の最後にゆっくりと過去を振り返り、若かりし頃の理解の浅さや、誤解の多さなどを反省して見るのも、良い時間の過ごし方であるように思う。
ハワイの生活は素晴らしい。島の隅々まで、アロハ精神が行き渡っている。
多種多様な人種が共存しているホノルル。 アジア人が多く、私もアジア人の端くれであるので、周りに溶け込みやすい点に感謝している。
西洋と東洋は、それぞれ独特の価値観、感性、論理などがある。自然界の鉄則は多様性であるので、西洋も東洋も、南米もアフリカもそれぞれ貴重である。
ただ、西洋文化の中で、東洋人が少数派として生きるのは、より努力が要る。 東洋文化のど真ん中で、西洋人が少数派として生活する場合も、チャレンジが多いことも事実だろう。
高齢化社会の到来は避けられない事実だ。 医学の進歩、技術の進歩などで、人の寿命は今後も伸び続けるだろう。
生まれ、 成長し、子を生み育て、職業に就き、老後を迎える。
老後は、ただ子供の重荷になるために存在してはならない。 死が近づけば、お一人様になる確率も高くなる。 生きている目的もぼやけてしまうかも知れない。
高齢者になれるとは、幸運だと思える人間になりたい。 「人生って何なのだ」と言った事をじっくり考える時間を与えられたのだと考えてみたい。 大きく出て、人間の賢さ、愚かさなどを客観的に分析できる時期でもあるのだ。
その後で、 全てを納得した上で、静かにあの世に旅立つ事ができれば、地上での存在の意義があったように思う。


