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人生の醍醐味  157

Image by Olia Gozha

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米国首都のワシントンD.C.郊外であるメリーランド州で、35年も根を生やして生活してきた。 


フィートンと言う地域に、 韓国系スーパーマーケット(H-mart)があり、よく利用していた。車を飛ばして、30分程で行けた。


大型スーパーで、アジア系食料品の種類が多く、店内には小型のレストランさえあった。  値段も手頃なので、我が家はよく利用したものだった。


韓国スーパーでありながら、日本の食料品も多々揃えてあった。


独り身になり、気候が温暖なホノルルに引っ越すことに決めた時、 ホノルルの情報を闇雲に集めまわった。  


私は3年間は、ドンキホーテと言うスーパーマーケット近くに、アパートを借りていた。 


引越しをすると決めて、 3年後に新築ビル完成予定のスタジオを買って、3年間建築状況を見ながら、忍耐強く完成するのを待っていた頃、H マートがホノルルにも進出予定がある事を知った。


昔は学校であった場所を買い取り、 スーパーに衣替えしている所であった。


我がスタジオから、歩いて行ける距離であるのが嬉しい。 時が流れ、H マートが開店、コビッド19の2年間も、細々と営業を続けていた。


同じHマートかと思うほど、 ホノルルのHマートは、サイズも店の雰囲気も全く違ったが、 私は徐々に月1、2度の頻度で利用している。


車生活を諦めてしまったので、 買い物用手押し車で、歩いて帰れる程度の買い物だけに制限している。


大瓶に入ったキムチを手に入れるのが1番の目的で、 その後は、 引っ張れる程度の重さを考慮して、買い物を楽しむ。


西洋料理の食材が手に入るホールフードはすぐ目の前にあり、 虹屋と言う日本食料品店は東へ10分ほど歩いたところにある。 


西へ15分程歩くとHマートがあり、韓国の食材が買える。 良い場所に、人生最後の新居を構えることができて、本当に幸運だと思う。


ワシントンD.C.郊外に住んで長年経ってから、 夫が認知症の要介護認定重度が酷くなり、 遂に医者、弁護士、社会福祉士の勧め通り、 施設に入居した。 


ホームレスになる危険性が急速に上がり、収入を増やす工夫の一つとして、素人下宿屋を始めた。


運良く、短期、中期、長期滞在の医学研究者が、我が家がたまたま歩ける距離に、国立衛生研究所があったためもあり、 下宿してくれた。

普通の一家族用住宅なので、 台所は共用だった。


煩雑さを避けるため、米、味噌、醤油 その他調味料は、家主の私が一括購入、全員で共有する事にした。 大型の米袋を、Hマートで購入した時は、若い医学研究者がサッと肩に担いで、車まで運んでんでくれた光景が、懐かしく思い出される。

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