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どの国にも、程度の差こそあれ、本音と
建前がある。 これは、国に限った訳ではなく、個人とて同様である。
少なくとも建前上、米国では、年齢差別、性差別を 縮小するための努力がなされている。
日本も伝統的に、建前と本音が厳然と存在する国だ。 ただ、私の小さな経験上の判断では、日本の方が、年齢差別が堂々とまかり通っているように感じてしまう。
50代には50代の生き方があり、30代、40代、60代、70代、80代にも、それぞれの期待される生き方があるようだ。
そのような考え方は、無意識に伝統的価値観を引きずっている場合が多い。 もちろん、素晴らしい伝統も多く、大切に保存する事も重要である。
けれども、 時の流れと共に、技術の進歩が激しく、 医学も進歩、食事の改善など幾多の理由で、人間の寿命は伸び続けている。
平均寿命65才であった時代の考え方と、平均寿命が85才を上回ろうとしている現代では、 当然、少なくとも高齢者の生き方に対する考え方を、改める方が実際的である。
生涯教育が謳われて久しいが、 現代の便利な携帯電話やタブレット、パソコン等を駆使すれば、ハーバード大学、東京大学、オックスフォード大学教授の講演を、無料で聞く事さえ可能な時代であり、年齢に関係なく学びやすい条件が整ってきている。
若者は若者同士、お母同士や高齢者は高齢者同士など、 分断しがちであるが、 年齢の違う人との交流も意識的に取り入れる事で、 お手本として、あるいは、反面教師として学べる事も多い。
同国の人々であっても、年齢差、職業の違う人々、住む地域の異なる人々との交流から、学べる事は多々あるものだ。
ましてや、異国の人々とも、言語を習得して交われば、 一層自分の人間性が磨かれると思う。
私はあと数ヶ月で、80才となる。 鈍感な私はまだ自分が後期高齢者に仲間入りした事が信じられない。
自由業ではあるが、 細々と通訳業を75歳まで続け、 ホノルルに移住と同時に、完全に自他共に認める退職者になった。
時間の有効利用と銘打って、 試行錯誤的に色々試みている。 日本の伝統的な80歳の方々とは、一味違った人生を自分で作り上げて見たいと思いを巡らせている。