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思い返してみると、20歳の時宮城県仙台市を、基本的に永遠に住処として離れて以来、 不思議とそれまで縁のなかった中華街と縁が徐々に深まった。
東京在住中は、いろいろな場所で中華料理を楽しんだ。 そう、横浜の中華街へも行きました。
サンフランシスコの大きな中華街の常連のようになり、ワシントンD.C. にある、消滅しそうな小さな中華街にも良く通って、中華料理を楽しんだ。
真冬に、訴訟関連の通訳業務でシカゴに行き、緊張した雰囲気の中での通訳終了後、死にそうになりながら、 事務所近くにあった古い小さな中華料理店に入って、指定のテーブルに座った。
メニューを見て、消化の良さそうな豆腐を使った料理を注文した。
ふと気がつくと、店長らしい中年の中国系の人が、 お猪口サイズのグラスの中に中国酒らしいものを入れて、私の前においた。 「注文していない」と私。「お店の奢りだ。」と店主。
今思うと、あまりにも疲れ切っている私を見て、同情心に動かされ、 秘伝の妙薬である中国酒を振る舞ってくれたに違いない。
滅多に飲む事もない、強い中国酒を飲み、温かい料理を食べ、ホテルでぐっすり寝ると、翌日、嘘のように疲れは完全に消え、身体の中に生命力が蘇った。
ホノルルでも、 月に数回中華街に行き、 中華料理を楽しむのが習慣化した。
ワシントンD.C.時代、ある時急に首と肩の周りが痛くなり、 漢方医に生まれて初めて鍼を打って頂いた。
その時、鍼灸師に200ドル払ったが、 帰りは鼻歌を歌える程完全に痛みは消えてしまった。
漢方薬の経験もしたくなり、「脈拍をゆっくり取ったり、舌を調べる」といった、漢方医の診断を仰ぎ、漢方薬を処方していただき、 煎じ方を教えて頂いた。
長い人生で、まだ煎じ薬を飲んだのは数回であるが、東洋の長い伝統に自分も少しは触れたかったのだ。
西洋文化圏に長く住んでいた私は、当然、本人の知らぬ間に、西洋化した部分も多いに違いない。「朱に交われば赤くなる。」の諺通りだ。
世界のどの国に移住しても、中国人の住む街があり、ニ、三世と、徐々に地元の文化に溶け込む場合もあれば、しっかりと中華思想を堅持して生活している人々も多い。
偶然、ホノルルに住むようになり、太平洋諸島の住民達が、長い年月をかけて育んできた文化の中で生活を始めて、早や、三年半が過ぎた。
少しづつ、ゆっくりと私も、太平洋諸島独特の文化圏に、染まりかけているに違いない。


