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大人は、自分の手足の爪を、自分で切るのが普通だ。 認知症の夫は、足の爪が伸びても、けろりとしているようになってしまった。
思い切って、 ネイルサロンに連れて行った。普段、彼はネイルサロンなど利用した事の無い、1942年生まれの男性だ。
夫の退職後は、4年ほど、私が完全に一人で、付きっきりで世話をしていた。
ほんのちょっと、ネイルサロンにいる間だけでも、 私の息抜きになると考えた。 「若い女性に、足を少しマッサージしていただくのも、良い時間の過ごし方。」とも、考えたのだ。
ネイルサロンの人に事情を説明、受けて頂いた。その日のお客様は、全員女性だった。運良く、夫は大人しく、足の爪を切ってもらっていた。
医者の勧めで、彼が67歳になった頃から、デイサービスを利用する事にした。 家から車で、20分の所にあった。 その日帰り養護施設は、朝10時から午後2時まで、預かってくださる。
ワシントンD.C.近郊にある関係か、とても料金が高かったが、専門医の勧めを尊重、また、我々が共倒れにならないためにも、サービスを受ける決心をした。 暖たかい作り立ての昼食がでる。
毎日、4時間だけ 自分一人の時間が持てた。会社に夫が通勤していた頃は、 結果的に、会社側が8時間子守をしてくださっていた事になる。
同僚の皆様方と、直属の上司様の温情に、心の底から、この場をお借りして、感謝したいと思います。 有難うございました。(彼らは日本語は読めない!)
なぜなら、 65歳前に仕事を首になれば、会社員用の医療保険は当然消滅して、使えなくなる。 全ての高額医療費を、自分で払わねばならぬ。
残念ながら、ゆるやかながら、夫の認知症は専門医もお墨付きで進行しつつあった。 万が一、米国の会社医療保険を使えなくなれば、我が家の破産は、火を見るより明らかであったのだ。
2007年5月、彼の65歳の誕生日に退職。 さぞ、同僚様達も上司様も、世話の焼ける同僚の一人が退職して、ほっとしたに違いない。
ボールは完全に私の手の内に入った。それからは、当然一人で世話をしていたので、知らぬ間に疲れがどんどん蓄積していたようだ。
送迎も私の仕事で、 休息の時間の中身は、3時間ほどだった。 認知症は間違いなく悪化、坂道を下り続けていた。 銀行口座の数字も、急速に減少していっていた。
家の中に、二人でじっとしていれば、退屈過ぎるので、映画館にも良くいった。 彼は昔から動物好きだったので、動物が出てくるような、明るい内容の映画を選択した。
退職後の 1、2年は、映画の初めから最後まで、大人しく座っていてくれて、 私も映画観賞中は、気が紛れたが、67、68歳と年が進むにつれ、途中で立ってしまい、映画観賞も辞めた。
68歳の後半頃、 見舞いに来ていた娘と一緒に、専門の老人養護施設を見学して回った。 医者も、「そろそろ、施設に入れた方が良い」と、アドバイス。
大小様々な施設を見学、最終的に私と娘は、インド系アメリカ人が、自宅を解放して営業している、家族経営の養護施設を選択した。
住み込みで、長年働いている白人女性の看護師さんと、インドからの移民である、その施設の経営者、その長男とインドから嫁入りしてきた若い女性と、夫婦の幼い子供さんと可愛いワンちゃんが住む家で、患者は4人だけ受け入れていた。
我々が訪ねた時、偶々、一人分の空席があった。 費用は目が10歳センチ飛び出す程高かったが、背に腹は代えられない。 書類に署名した。


