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人生の醍醐味  114

Image by Olia Gozha

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真珠湾攻撃から1年9か月目に、私は兵庫県で生まれた。  宮城県出身の父であるが、当時逓信局に勤める国家公務員で、異動が多かったのだろう。  1942年9月、私が生まれた頃は、偶々兵庫県で勤務していたのだろう。


母親は私が生まれて、しばらくしてあの世に旅立った。  2歳未満の私には、残念ながら全く母の記憶もない。


兵庫県時代は、第二次世界大戦中で、 国中が食料不足、我が家もご多聞に漏れず、食べ物の足しにと、小さな畑を耕していた。  ゴザの上に座って、親達が畑で働いていた情景が、ぼんやりと、頭に残っている。


当時、既に父は再婚していた。  4歳と2歳(兄と私) そこそこの幼子を抱えた父は、本職に忙しく、子供達を見てもらうためにも、急いで再婚したのだろう。


兄は4歳の時、母親に死なれたので、 母親の記憶があった。 私はとんと覚えていない。


いわゆる、我らの義理の母は関西出身で、当時ではまだ珍しい事であったが、女学院を卒業していた良家のいとはんだった。 平安時代の女性のようにふくよかな美人だった。


聞くところによると、はじめの結婚に何らかの理由で失敗、酔いどれ酒呑みであったとか。  


多分、当時らしく、仲人の紹介で二人も子連れのやもめと、決死の覚悟で、結婚に踏み切ったのだろう。


1940年代の日本女性は、結婚する以外、生活の目処が立たないのが、現実だったのだ。


一度結婚に失敗すると、「出戻り」と揶揄されるぐらいで、 針の筵に座っているような苦しみだったろう。  


最初の結婚の時できた一人の息子が、 継母にいた。 丁度、兄と同年齢ぐらい。


我が父親は、継母の子連れを認めなかった。 身勝手な男性だ。 自分には二人も連れ子(兄と私の事)がいるのに、二度目のお嫁さんの一人息子を、受け入れようとしなかった。


これが後に悲劇を生み出す。 連鎖作用が起こってしまうのだ。 飛び火は、まともに兄と私に降りかかった。

 




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