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人生の醍醐味  89

Image by Olia Gozha

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1898年はアメリカが、帝国主義の触手を、伸ばし始めた時期である。  


フィリピン、グアム島、ハワイを米国は武力で取得。


新聞王であるハースト氏、ルーズベルトなどが好戦派で、国内の厭戦派を抑えて、熱心に活躍、アメリカの領土を拡大していった。


1970年に、はじめてハワイ経由で渡米、南カリフォルニアのサンディエゴに落ち着いた。


日本で結婚一年数ヶ月後、米人の夫とアメリカに引っ越した。


今思い返しても、 長年アメリカに住んでいた割に、アメリカを知らないまま、「時を過ごしてしまった。」と、反省しきりである。


カリフォルニア州立大学で、4年生大学を出るため、必須である米国史6単位を取った。


けれども、今思い返せば、、それはあくまで、官製米国史を学んだに過ぎない。


自分から進んで、調べてみようという努力を怠っていた。


喜寿を迎え、時間的余裕がある今、改めて自分から進んで、米国の現代史の一部を、じっくり学び直している。


と言っても、ステファン  キンザアー氏(Stephen Kinzer)の著作三冊を読破すべく、 努力中だ。 2冊は読み終わり、3冊目を読み始めた。


日本で一年強結婚生活を送って、米国に移住。

私にとっては、はじめての外国生活、しかも半年後、娘が生まれ、慣れない母親業も始まった。


大局的見方を楽しむ余裕どころか、 日本で英語教師の経験があったにもかかわらず、 自分の英語力の限界を強く感じ、米国の習慣にも慣れねばならなかった。


運転免許を取るため、成人学校で自動車の教習受講。 


とにかく、慣れない日々の生活に気が向きすぎ、じっくり自分が住むことになった国について、自主的に、しかも冷静な観察力を発揮して、学ぶ努力を怠っていた。 言い訳じみているぞ。


余裕のできた今、私が長年住んでいたアメリカとは、「一体どんな国なのだろう。」と、今頃興味を覚える。


元スペイン領であった、フィリピンを手に入れ、グアム島を我が物にして、プエルトリコも保護領にしてしまう。ハワイ王国も50州目に組み込まれて行った。


そのハワイに、2018年5月から住んでいる。 アメリカ50州の一つであるから、米国籍を20年近く前に取得していた私は、気楽に移住でき、今ではカマアイナ(地元民)に仲間入り。


多くの民族が実際に住んでいるハワイ。 150年前に「元年者」と言われた日系人が初めてハワイに入植、今では、ハワイ独特の文化の中に、日本的文化も色濃く根付いている。


米国本土の東海岸側の文化と、太平洋のど真ん中にあるハワイ諸島では、当然であるが、 無数の差異がある。 


ゆっくり、じっくり米国について、暇を有効利用して、70代の手習気分で、学び直してみるつもりだ。


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