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人生の醍醐味  50

Image by Olia Gozha

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さてさて、喜寿のお祝いを迎えてしまった。  母親より45年も長く生きた事になる 。


私も、昔の日本女性の様に、天からのお迎えを待つ身分になったようだ。  今のところは年相応の健康度を保っているようだが、 「昔から寄る年には勝てない」という言い伝えがある。


数日前、ある小さな料理店に引き込まれるように入り夕食を食べてしまった。


ハワイに来て、一年3カ月で、その小さなレストランに入ったのは、これが2回目だった。  運悪く食あたりらしく、 一週間程何となく体の具合が悪く、気持ちも落ち込みがちであった。 


ところが、一週間でびっくりする程身体の調子が元に戻り、心も同時に明るくなった。 身体と心の連動作用を実体験した事になる。


からだに合わないばい菌が侵入、我が身体は戦いを挑み 、一週間でその外部から侵入したばい菌どもを追い払ったようだ。 


今回も、薬も飲まず、医者にもいかず、自然治癒力だけで解決出来た。  何時迄も、 自然治癒力が勝利を収めるとは限らない。 


でも、 自分は未だ生きている。 喜寿になると、もう社交性などは二の次になる。 夜に十分睡眠が取れる事が何より大切だ。翌日の体調にもろに影響を与えてしまうのが熟睡力のようだ。 


毎日一万歩を実行、この一年書物も読みまくった。 新書本を注文したり、古本屋さんで良さそうな本を物色した。  


ホノルル在住なので、 殆ど毎日太陽に光が少しは緩む夕方に海辺の散歩を続けている。


11月には九州地方の旅行予定が入っている。  航空券も買ったし、ホテルの予約も終わり、先払いも済ませている 。  「絶対に行く」という意思表示だ。


近未来に旅行の予定が入っていると心が楽しい。  「したい事は今のうちに」という気持ちが強い。 来年の体力は本人でさえわからないし、保証もできない。数年後は飛行機旅行は無理になるかもしれないから、今のうちに、「何処に行きたいか自問自答して」希望を叶える努力をしている。  


思えば、長い人生であった。 割と幸せな人生であった。 今振り返ると文句が無い。 これは有り難い事だと思う。 今の現状に満足している。


自分から選択して、東海岸から移住してきた。

 40年近く国際会議通訳という自由業を続けられた事も幸運だった。 


仕事がら、 1匹狼的傾向があるが、 結局は私の性格に合っていたような気がする。  広く浅い人脈にささえられた人生であった。


太平洋に浮かぶ数知れない島国の人々について、私は何も知らなかった事を改めて自覚した。 ハワイ移住も、 ある意味で私の学びの機会であると思う。



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