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人生の醍醐味  49

Image by Olia Gozha

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早いものだ。  夫が亡くなってから、 4年の

月日が流れた。  2017年、独り身になり、 自宅を処分、2018年ハワイに移住。


ハワイ移住を考慮、2012年、2013年、2014年と2015年に、冬の季節である、1月、2月ホノルルを訪問した。


土地勘を掴むため、我武者羅に歩き回った。 日本生まれで米国に長年在住した自分が、出来るだけ独立生活を長く維持する場所として、「ホノルルが適切であるか。」を、調査していたのだ。  


また、東海岸時代は、多くのアメリカ人同様、わたしも日常生活で、車を乗り回していた。 


ホノルルの市バスである、ザ バスも、乗りまくった。 地域の特性を知り、土地勘を自分に埋め込みたかったのだ。


2017年を遡る事5年、すなわち、2012年から、本当にホノルルで一人で生きていけそうかを調べ続けた。 


最後の一年は、夫がホスピスに移動、調査は打ち切り。 


冬場だけであるが、4年間に及ぶ調査結果、大決心をして、大急ぎで、35年ほど住んでいた自宅を売り払った。 


ハワイに引っ越し、買い物に便利なドンキホーテ近くで、 アパートを借りた。 


三年後完成予定の、新築ビルの一部屋であるスタジオを購入した。 出来上がるのを待つ楽しみができた。 


賃貸アパートを、アメリカで一人で借りるのも、初めての経験だった。  何事もそうだが、 はじめての経験は不安も伴うが、 驚きあり、喜びありで、学ぶ事も多い。


運良く、我が部屋の向かい側には、子供さんが三人いる若夫婦だった。 


2歳、4歳の男の子兄弟と7歳の長女は、すぐに廊下で挨拶を交わすようになった。 「おはよう」と、子供達は天真爛漫に、走り寄って米国風ハグ。  嬉しいですね。 


たまたま手元にあったお手玉で、一緒に少し遊んだ。 可愛い子供達の英語。



一年目は、まだ観光客気分が抜けず、新発見、新発見と一人ではしゃいで、ホノルル中を歩き回った。 レストランにも沢山入ってみた。 体重も丸々.


インターネットでミートアップを利用、幾つかのグループにも何度も顔を出した。  親戚も知人もいない新天地。 自分から人脈作りの工夫が必要であった。 


ハワイ大学で土曜日に、日本語教育が行われていて、日系人が多い土地柄、大勢の大人と学生が、午前中の授業に出席していた。 


日本語が話せる、バランティア市民も、クラスを手伝っている事を知り、私も参加した。 


ホノルル在住の地元民で、日本語に興味のある人々と会える、貴重な機会だった。 


また、ホノルルの語学学校で、英語を学ぶ為、日本からの留学生が、割と大勢来ている事も知った。


長年、米国の東海岸に在住した為、日本との関係が薄れていたわたしには、 英語を学んでいる日本人に会えた事は、とても喜しかった。


3年目に、まさかのCOVID-19が世界に蔓延、

マスク生活に突入。 社会的孤立に突入した。 


2020年の3月頃から、ハワイでも、自粛、エッセンシャル ワーカー以外は自宅謹慎。 けれども、運動のため、一人で散策する事は許されてはいた。


初めはどうなるかと心配もしたが、 少なくても自分だけが孤立するのではなく、 基本的に全員同じ条件であり、しかも疫病のためであるから、 状況に合わせざるを得なかった。


知人も親戚も家族も居ない、新しい土地に引っ越してまだ2年弱で、急の孤立は辛くもあったが、優しいハワイの海風が、毎日慰めてくれた。


時間だけは十二分にあるので、 下手なりに時間の有効利用と銘打って、午前中はキーボードで、ピアノの練習に力を注いだ。 


元々、自己流であるが、時間潰しには結構有用だった。


YouTubeをふんだんに使い、朗読文学を聴き、多種多様な講演に聞き入った。 


ホノルルはまだ、バーンズノーブル書店が健全なので、 ユーチュ-ブの講演者で、気に入った人々の書籍を、50冊以上買い読破した。


長い人生を何とか無事にきたが、 まだまだ知らない事がいかに多いかを、身に染みながら読み進めた。


この一年間で、割と良い習慣が身に付いたと、今の状況に感謝する気持ちさえ生まれている。


独り身で、これから生きて行く訳だから、孤独に慣れ、 時間の有効活用方法を、編み出すのは得策だ。


気がつけば、もう約3年近く、一人でアパートに住んでいる。 しかも、思ったより自己判断に過ぎないが、充実している気がする。  


私が、私の教師、医者、友達、母親と言った多くの役割を果たす事が重要なのだろう。 


自分が自分を叱咤激励する重要性に気がついた。 たまには、抜かりなく、褒めたり、ご褒美を自分にあげる事も重要だ。 自分に優しすぎる欠点あり!




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