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人生の醍醐味  48

Image by Olia Gozha

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2006年頃から、我が家の郵便受けに、沢山の郵便物が届けられるようになった。 私に当てた郵便物は少なく、ほとんど夫宛であった。  


私信は、本人が最初に開封するべきだと思い、多い時は小さな箱に入れて、夫に渡した。


時が経つに連れて、郵便物の量は増加、郵便受けには入り切らなくなり、郵便局で使っている大きな箱の中が、3/1埋まる程度の郵便物が、玄関の前に置かれるようになった。


「変だなあ」とは思ったが、 殆ど全部夫宛なので、開封は彼に任せた。 彼は64歳になっていた。  


退職後も、この傾向は続き、ついに郵便局の箱一杯の郵便物が毎日届いた。 


ある日、ドアをノックする音。 郵便配達員が、彼宛の書留郵便の署名を求めた。 妻である私が受け取ったと言う認証の署名をした。


胸騒ぎがして、意を決して、私はその書留を開封した。  彼の退職後用の年金全額が、チェックで送られてきたのだ。 


大慌てで、そのチェックを持参の上、最寄りの銀行に駆け込んだ。  年金は、退職後、毎年その年に必要分の額だけ下ろすのが、普通のやり方だ。 


下ろす時に、その額に応じた税金が課せられる。全額を一時に下せば、巨大な税額となってしまう。 夫の認知症が、明らかに悪化した事を現す事件だった。  


多分、そのチェックを、銀行口座に入れ、何処かに小切手を、送るつもりだったのかもしれない。間一髪で、そのチェックを銀行口座に入れ、銀行員と相談した。  


弁護士さんを紹介してもらい、夫の法的後見人になるため、裁判所に出頭した。


夫は65歳まで働いた人で、ビールが好きで毎日飲んでいた。 車もまだ、運転していたが、近くにビールを買いに行って、2時間も帰らない時もしばしばになった。  


弁護士さんは、 「事故を起こす前に、運転を辞めさせるのが得策である。」と言った。  


10代後半から半世紀も、一度も事故を起こさず、運転していた夫から、車の楽しみを取り上げるのは、忍びなかった。 


38年以上も結婚生活を続け、一度も暴力を振るったことのない夫であるが、 認知症になった今、車を取り上げたら、どんな反応を示すのか怖かった  


ふと、名案が浮かんだ。 「車を修理して貰うので、ちょっと鍵を貸して」と、私。  夫はすぐ彼の車の鍵を渡してくれた。  


即座に、自動車修理場に車を一時預けて、車全体に問題がないか点検していただき、不具合を治して貰った。  


そこから、直接娘の住む、アメリカの西部にその車を送るよう、手続きをした。 


自宅に自分の車が有れば、彼だって、運転したくなるのは当然だ。  遠方に送ってしまえば、二度とその車を見ることは無い。 


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