45
これからの目標は、 安定した心を、保持する努力をする事だ。 自分の心を客観的に、冷静に観察する事は大切だ。
感情的に、心に偶々浮かんだ感情に、心がふり乱される事が、多い事に気づいた。
瞑想の大切さとは、心のぐらつきを、「ああ、自分の心が今ぐらついている」と、冷静に判断する事が、大切なようだ。
1日大体、一万歩を歩くようにしているが、 空、海、椰子の木を含めた、亜熱帯植物をみながら歩くのは、私の一種の瞑想時間でもある。
長く歩いていると、雑念も頭から、薄れて行くように感じる。
米国の東海岸にあるベセスダ時代、四年間ほど、週一回ではあったが、中国語学校で、太極拳を学んだ。 それも、ある種の動く瞑想であると感じた。
長年、核家族形態に、甘んじ過ぎた。 夫に寄りかかり、「自己責任を、うやむやにしてきた、傾向があった」と、遅まきながら、反省中。
心を安定させて、心の歪みから起きる、体の不調をできるだけ、減らしたいので、大地に両足をがっちりと広げ、心の偏りを、出来得る限り最小限に抑え、微笑みながら、この地上での生活を、味わいたい。
自分に、要らぬストレスをかけないように、自戒する必要もある。甘やかし過ぎもいけないが、自己批判が強過ぎても、自分が駄目になる。
ほどほどの湯加減を、常に意識的に、観察する必要がある。
ありのままの自分を認める。 他者に頼り過ぎた自分を、過去のものとして、脱却したい。
これからは、 一人である自分を十分認め、自己確認をしながら、「ピアノの練習がしたい」と、自分が思うなら、続ければ良い。
ピアノの練習が、瞑想の時間的な役割を果たしているなら、益々、続行の値打ちがある。
ユーチューブはこれからも、英語聴き取り練習も兼ね、続けるが、最近始めた読書も、続ける決心だ。
日本語で書かれた書物も、読む予定だし、 英語の原書も、読み続けるつもりだ。英語力維持のためにも、重要な日課だ。
とは言え、なんと言っても大切な時間は、太陽の光が緩みかけた夕方、木陰のベンチにゆったり座り、 ただ青空の雲の変化を眺めて、広い太平洋の地平線に目をやりながら、波の音に聞き入る時間だ。
散歩、読書、朗読傾聴などの疲れが、身体から消えてゆくのを感じる時間を大切にしたい。これはきっと、わたし風瞑想タイムなのだと思う。