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幸運な事に通訳業務を35年以上、続ける事ができた。 生涯教育を、地で行ったような人生で、若い頃、想い描いていた以上の、素晴らしい人生が、実際には展開した。
通訳をしていて気づいた点の一つは、1980年代、1990年代、2000年代と長年に渡り、日本からの視察団や代表団のほとんどが、私が関わった仕事では、男性だけであった。
米国代表団も、確かに女性は少数派ではあったが、 必ず最低一人は女性も入っていた。 むしろ、一人だけは稀で、3対1、4対1の割合が多かった。
看護師世界大会の時だけ、日本から看護師長を始め、 40人近くの日本女性代表団がカナダでの世界大会に、参加したのを、この目で見ていて、気持ちが良かった。
2010年代頃から、 若手の日本女性も企業代表団に参加するようになり、 出身が帰国子女の場合が多く、英語で堂々と意見を述べていたのが、印象的であった。
技術進歩は、驚く程の速さで進展しているため、時間の問題で、 通訳業もこの世から消滅するのも、遠い将来では無い。
偶然の事とはいえ、本当に運の良い時に、通訳業に参入した。 スペイン人通訳に見習って、私も75歳まで通訳業を継続できた。
現に、ホノルルに移住する事を決め、自宅も不動産屋を通して売り払って、ハワイ移住の予定が近づいて来た頃、 通訳斡旋業者から、 仕事の問い合わせがあった。
東海岸から、西部に飛び、カリフォルニア州サンディエゴでの仕事だった。 この仕事は毎年アメリカ国内の違った地域の州で開催される大会で、ハワイ行きの途中、 サンディエゴで仕事をして、ハワイのホノルルに到着した。
仕事場に、大きな引越し荷物持参はあり得ないので、スーツケース3個分は別送で、直接ホノルルの不動産屋さんの事務所宛に送付して、預かっていただいた。
古いけれど、ガラージ付き、 寝室3部屋の庭付き一軒家に長年住んでいたが、 ホノルルでの生活は、出来るだけミニマリストの生活様式を採択する決心をした。
出来るだけ、長く自立生活維持のため、日常生活を極めて単純化、 ホノルルは幸い公共の場が多いので、 それを十二分に利用する決心をして、一部屋だけのスタジオを購入した。
ハワイ到着後3年間は生まれて初めて、 アメリカで一人で、アパート生活を楽しんだ。