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日本から少人数の研修団が来米、ニューヨーク市長と対談する場面があった。 その時のニューヨーク市の市長は、デイビッド ディンキンズ(David Dinkins)氏だった。
106番目のニューヨーク市長に就任したディンキンズ氏は、はじめてのアフリカ系アメリカ人の民主党市長だった。
在任期間は、 1990年から1993年で、 我々がディンキンズ市長と面談したのは、1991年の事であった。
ニューヨーク市は、日本企業の出先機関が沢山あり、ディンキンズ市長は日本にとても興味を示して、友好的な話し合いが行われた。
帰り際、市長が提案した。 「わざわざ、遠方より来ていただいた日本人の方々に、上空からマンハッタン島全体を見ていただきたい。 時間がありますか。」
5人の研修団員は、殆ど同時に、「時間はあります。」と答え、市長の計らいでヘリポートへ向かった。 ヘリポートには、 ディンキンズ市長夫人がすでに待機していた。
「本来なら、本人が直接御案内するのですが、 次に会合があり、お鉢が私に回ってきました。 市長の妻です。」と丁寧なご挨拶をいただいた。
頑丈そうな大型ヘリコプターのプロペラが、頭上で回転を始め、ヘリコプターは上空へ向かった。風の強くない、晴れた初秋の事だった。
ヘリコプターは自由の女神の方向へ飛び、ウオール街、中華街、イタリア街を見ながら、エンパイアの高い建物を見ながらミドタウンに戻り、ブロードウエーの上を飛んだ。
上空からマンハッタンを見ると、一番目立ったのは、ニューヨーク市独特の黄色いタクシーの多さだった。 人々はアリのように小さく見え、その数の多さにびっくりするほどだった。
兎に角、 ニューヨーク市のマンハッタンは、高層ビルが所狭しと立ち並び、 人口過密地帯である事を実感した。 ヘリコプターはリンカーンセンターの上を飛び、ハーレムを下に見ながら飛び続けた。
ハドソン川とイースト川が、太陽の光に輝いているのが印象的であった。 ヘリコプターを降りて、市長夫人が、ハーレム地域内の大きなコヒーショップに、案内してくださった。
今見たばかりのマンハッタンに興奮しながら、静かにコヒーを少し飲んだ。 市長夫人が話し出した。
「アメリカの歴史はご存知と思いますが、私の祖母が良く話していた事を、お話ししましょう。 米国の南部では、リンチが当たり前の時代があったのです、20世紀はじめもです。」
「南部に住む白人の家族は、晴れた日の週末に、住宅街近くにある割と大きな公園に行き、大きな木の下にブランケットを敷いて、サンドイッチなどの昼食を食べる習慣がありました。」
「特に、地元紙にアフリカ系アメリカ人のリンチがある日時が、小さな記事としてでると、そんな日は、特に大勢の人々が、週末らしく着飾って集まりました。」
「昼食が終わり、 子供達がはしゃいで走り回っている、平和な公園の光景です。」
「午後3時頃、その日の犠牲者である、アフリカ系アメリカ人が引っ張り出され、古木の頑丈な枝に、既に準備されてた首縄の所へ、その黒人を連れて行くのです。」
「今まで、のんびり寝転んで、春の光を楽しんでいた人々は立ち上がり、にわか作りの処刑場に近ずくのです。 白人の若手が、 綱を勢いよく引くと、 黒人は枝にぶら下がった状態でこときれるのです。」
「人々はそれぞれの席に戻り、後片付けをして帰宅します。 処刑された人だけが、公園の枝にぶら下がっているのです。」
「これもアメリカ歴史の一端です。 また、1990年に、 ニューヨーク市で初めて、アフリカ系アメリカ人が、市長に選ばれたのです。 遥々日本から、アフリカ系アメリカ人市長との面談に来てくださって、ありがとうございました。」と市長夫人は話した。


