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教育関連の仕事も数回当たった。 もともと、日本で教育に従事した事もあったので、好きな分野の一つだ。
初等、中等教育世界大会も開かれ、日本からは教職員組合に所属する、先生方の代表が出席した。
大会終了後、米国側教職員組合の一つである, NEA (National Education Association) ナショナル教育協会) の幹部が引率して、数州にまたがて、公立学校見学の企画も組み込まれていた。
米国では、個人住宅などにかかる固定資産税を、教育費に当てている。 ということは、高級住宅街の地域は、当然、固定資産税収も多く、結果的に、教育用予算を沢山取れる。
学校の施設費もふんだんにある。 また、先生方へのお給料も多く払える分、優秀な人材を集めやすい。
学校巡りは、高級住宅街地域にある学校で始まった。 見たところ、白人生徒が8割り強であった。
学校の生徒達は、進学率も断然高く、有名大学へ、また、有名企業への就職の道が、広々と広がっているそうだ。
また、中産階級が住む住宅街にある、公立学校を訪問した。 見た目だけで、生徒の構成割合が、白人訳50パーセント、少数民族(アフリカ系アメリカ人、スペイン系アメリカ人とアジア系アメリカ人)訳50パーセントだった。
最後に低所得者層が密集している地域の、公立学校を見学した。 校門に、 その日は制服姿の警察官が二人立っていて、持ち物検査が行われていた。
見た目だけだが、 いわゆる少数派が圧倒的多数で、白人生徒はほんのちらほら程度だった。中途退学者が多く、麻薬の問題、暴力沙汰で、他の生徒を傷つける事件も起きるようだ。
先生方の在籍年数も少なく、先生方の出入りも頻繁におこるとの事。
米国憲法上は、全ての市民は、平和で安全な生活を保証されているはずだが、 実際は、「地獄の沙汰も金次第」的、社会に変容しているのかも知れない。
移民の国、アメリカは当然 多種多様な人種、宗教、考え方の人々が、アメリカ人として、日々の生活を送っている。
難しい問題であるが「袖擦り合うも多少の縁」で、切磋琢磨しているうちに、少しずつより良い社会が構築されるのかもしれない。
似た者同士だけの世界で一生を終わるのも、個人の自由だが、 異業種、異人種、年齢差のあるグループなどの中に飛び込む事で、 傷つく事も多いかもしれないが、 学ぶ事の方が断然多く、自己改革のチャンスも一杯与えられる。
私は何も哲学的に、道義的に悩み考えた末に、移民の国米国を選んだわけではなく、 ただ偶然の重なりで、 気がつけば長年アメリカ生活を楽しみ、自分のない能力を引っ張り出して貰えたと、今では感謝の気持ちが俄然多い。
米国も日本同様、残念ながら男女平等の社会ではまだない。 ただ、私一人の狭い経験に過ぎないが、米国の場合、求めれば、ひたむきに努力すれば、男女に関係なく、能力を評価しようと言う土壌はある。
宮城県の片田舎の茅葺の家で育った私が、 世界を飛び回るような職業に、いつの間にか入り込むチャンスを、惜しげもなく与えてくれた米国と言う国に、私は心から感謝したい。
そのお陰で、 我が家に思いがけない大危機到来の時、 正社員と余り変わらないぐらい収入のある職業を、75歳まで続けられた事で、 我が家の悲劇的破産も免れられた。
アメリカと言う国が、私の英語力と日本語力を見込んで、「仕事を多数下さったお陰だ。」と、本当に感謝している。
そして、今は太平洋のど真ん中にあるハワイ州オアフ島のホノルルで、毎日のんびり海と広大な空を眺めている。


