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人生の醍醐味  33

Image by Olia Gozha

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ワシントンD.C.近郊に長年住んでいるので、 連邦政府から、通訳業務の問い合わせが入る場合も多い。 


連邦政府食品薬品局での仕事も多く、厚生省の高官、民間の製薬会社その他の上層部が、食品薬品局で会合を開く場合も多かった。


そのため、日本人視察団と何回も、食品薬品局訪問をしている内に、 局内の顔見知りも増えた。  


ある時、食品薬品局から連絡が入った。食品薬品局の博士が 日本で講演することになり、通訳の白羽の矢が私に当たったようだ。  当博士の御指名だそうだ。  


勿論、過去にも、一度日本講演の経験があったので、日本に優秀な通訳が沢山存在する事を、博士は承知していたが、 以前から米国内でその博士が日本代表団と話す時、 地元であるので、何度も私が通訳の任を果ていた。


その関係で、内容を既に大まかに心得ている私が選ばれたようだ。


山口県の下関市で 日本中から製薬業界の方々が集結して、博士の講演を聞くことに、段取りが進められていた。  


日本まで出張する事は少なく、 それ幸いと、自腹を切って、娘も連れて行く事にした。  その当時、趣味の焼き物のにはまっていたので、 山口県に行くついでに、仕事が終了後、有名な萩焼の窯元を、じっくり見て回ろうと考えたのだ。 


日本生まれの子と違って、我が娘はアメリカ生まれなので、意識的に日本に行く機会が出来ると、連れて行く事もあった。


仕事の部分は、もちろんわたしだけの責任だ。一日中通訳業務に携わり、 その夜、博士を囲んだ立食パーティーが開かれた。  名刺交換の場でもあった。 


博士と日本の主催者側責任者の許可を得て、 娘も立食パーティーにだけ参加した。  当時の娘は24歳位だった。 


4歳から、 日本語の基礎を教えていた上、日本で幼稚園の年長組、小学一年、二年, 三年生まで、千葉県の公立学校へ通った経験もあり、東京、宮城県、福島県、大阪、京都、奈良、山口県、長野県にも、旅行した経験のある娘は、日本語が話せる。 


その時の日本代表団は全員 たまたま男性。 米国代表の博士も中年の男性。 立食パーティーでは、自然と娘の周りに人が集まり、 テーブルにある、下関の料理人が丹精込めて準備した、海の幸を味わいながら、談話を楽しんでいた。


博士は、日本人一人一人と、名刺交換が延々と続いた。通訳のため、私はずうっと博士の隣。


やっと名刺交換が終了した頃は、テーブル上のお料理は消えていた。  誰も、主賓の博士のためや通訳のために、 お料理を取って置いてくれなかった。  幸い、娘は運良く私の分まで、食べてくれた。

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