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人生の醍醐味  27

Image by Olia Gozha

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アリゾナ州ツーソン市での通訳業務が終了後、アメリカ原住民の、ホーピ部族地区内にある、工芸品展示場兼お土産屋さんに、現地の方が案内してくださった。


たまたま、 その訪問は8月の真夏であった。ホーピ部族の工芸品、芸術作品や部族の歴史に関して、 ホーピ部族の女性が詳しく、説明してくださった。  


生暖かい外の風が吹き通る、ホーピ部族的建築様式の、展示場内での説明から始まった。


屋根があるので、当然、日陰になっていたので、 外の温度に比べ過ごしやすかった。  


焼き物の表面の図形が独特であった。 天然材料で編み上げた、手作りバスケットも、大小多数並んでいた。  先祖から受け継いだ作り方を、維持しているとの事。 木彫りの作品も展示されていた。


10代の初め頃から、親、祖父母、叔父叔母、長老などから、ホーピ部族独特の製作手法を、徐々に学ぶそうだ。 


始めは、小さくて簡単な物から作り始めると言う。 工芸品の作り方を、1対1で学びながら、大人の昔話も聞き、自然と自分達ホーピ部族の歴史も口伝で学ぶのだ。


屋内での1時間近い説明が終わり、全員野外に出た。  ホーピ部族の歴史、米国3州にまたがるほど、大きなナバホ部族に囲まれている現状の説明も続いた。 


ホーピ部族の住む地域は、アリゾナでも北西部に位置していて、荒野の砂漠化が進んでいる地域だ。 


8月の太陽は容赦なく我々に照り付けた。  通訳であるわたしは、普段は汗かきではないが、 ポタポタと汗が滴のように顔からも、腕からも出ていた。


説明のど真ん中で、 私は倒れてしまった。みんなは慌てて、先ずは身体を冷やすため、観光客用の、セメント作りの公衆トイレの床に、私を横たえた。 


熱中症になってしまったようだ。 意識が朦朧とした瞬間もあったが、 日陰に寝ている内に、意識は元に戻った。


職員が電話を入れたらしく、ホーピ部族地域内の救急車が到着。  期せずして、ホーピ部族地域内にある、ホーピ部族用病院の患者になる経験もした。 


お医者も看護士さんもわたしのような背丈で、とても優しく、丁寧に診察してくださった。 


米国は医療費が、めちゃくちゃ高額である事で有名であったが、ホーピ部族国の特別の取り計らいか、 無料で診察を受けられた。  たまたま、 国務省から請け負った仕事であったからかも知らない。



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