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幸福感は誰にでもすぐ手に入り、しかも無料である場合が多い。
確かに、長い人生で、日常生活を普通に苦しまずに暮らすには、お金が必要だ。 ゆえに、大概の人々は何らかの職業を選び、日々の生活の安定を図り、老後の蓄えも準備する。
でも、お金さえ十分有れば、その持ち主が、「全員幸せであるか」と言うと、そうとも限らない。
日常生活を無難に過ごす上で、お金と同様に、或いはそれ以上に、大切なのは健康である。
基本的に人間も動物であるから、 文字通り動く物である。 手足が自由に動き、 食事が美味しく食べられ、安心して十分睡眠時間が取れる環境は、どの人にとっても大切だ。
住むところがあり、十分栄養のバランスが取れ、食事を毎日取れ、睡眠時間も十分取れれば、普通の人は幸せな気持ちになれるだろう。
けれども、 中にはその3点が揃っていても、幸福感を得られない人々も多い。
究極の所、 「人間は考える葦」であり、「心の中でどんな事を考えているか」が、その人の幸福感に大きな影響を与えるようだ。
「上を見たらきりがない」と言う諺もあるが、他者と自分を比較する事で、 羨望、やっかみ、憎しみなどの気持ちが沸き起こる場合が多い。
最終的に言えることは、自分の心の在りようを常に意識して、出来るだけ外部の事象に左右される事なく、安定した中庸の心を保持する努力が、幸福感を増す秘訣のような気がする。
高齢者が高齢者同士ばかりと、多くの時間を過ごすと、すっかり、大勢の高齢者達から影響を被りすぎて、 死の近さばかりに心が傾きすぎて、暗い気持ちに陥りがちだ。
客観的に見て、 高齢化すれば、当然20代、30代の人々より、死が近いのは当然の事である。
だからと言って、まだ現実にこの地上で生きている貴重な時間を、人生の最後である死だけに、心を集中することは愚かな事であり、 幸福感を招かない。
それより、朝起きて、立ち上がり、歯を磨き朝食を済ませて、折角、海辺の近くに住んでいる地の利を十二分に生かして、早朝の散歩にでて、自然と心の中で対話する方が、より幸福感が心の中に広がり、生きている事のありがたさが身に沁みるように思い、今日も意気揚々と散歩に出かけた。


