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細菌性髄膜炎になった娘に気付かされたこと①

Image by Olia Gozha

細菌性髄膜炎になった娘に気付かされたこと

この話は、生まれてすぐに大病にかかった娘の話。


2012年3月10日私たち夫婦に初めての子供が生まれた。

二日間のつらい陣痛に耐え出産、生まれた瞬間妻は泣いていた。

出産に立ち会った時に、僕の率直な感想は

「本当に人から人が生まれてくるんだ」の驚きだったと思う。

恐れずに言うとはっきりと「父親になった」と実感がなかった。

実りある人生になってほしいとの思いから、名前は「みのり」となった。

一週間の産後入院

生まれてすぐに呼び名は「みーちゃん」となった。

仕事が終わると毎日病院に行った。仕事が遅い日は、深夜に忍び込んで会っていた。


妻はよく見ると疲れていて、時々母乳が胸で詰まって熱が出るらしく辛そうだった。

全然大変さを分かっていない僕は、のんきだった。

入院は暇だと思って妊娠前に手伝ってもらっていた仕事をやってとお願いしたらブチ切れられたのもこの時だった。


待ちに待った退院

少し辛そうだった妻は、近くの実家に帰ることになった。

やっぱり実家がいいと妻は喜んでいた。

退院の荷物を抱え、一緒に食事をしてこれからの生活について話していた。みんな笑顔だった。


退院当日、ふたりで寝かしつけていると、みーちゃんの手が震える。

例えるなら、ドラマとかでアル中の人がプルプルするような感じだ。

初めての子供、手が震えることもあるのだろうと妻と話をして帰った。

ちなみに冒頭の写真はこの時に撮った写真だ。


緊急入院

次の日の午前中、妻から電話が入った。

今病院にいるとのこと、午前中の仕事を終え、すぐに病院に駆け付けた。

病院につくとみーちゃんは検査中だった。

震えを不安に思った妻が、病院に連れて行ったのだ。

しばらくすると、何やら透明の箱が運ばれてきた。中に点滴や心拍数、呼吸数などを計るコードを付けられたみーちゃんが入っていた。

妻の楽しみにしていた実家暮らしは一日で終わった。


細菌性髄膜炎という病気

午後の仕事を終え、また病院に向かった。

もう当分来ないと思っていた出産した同じ病院だ。

午後に主治医の説明があったらしい。

女医だった。

女医「奥さん、私頑張るから奥さんも頑張ってね」

妻「はい。」

と言って、診察室で泣いたと言っていた。

よく状況がつかめなかった。


病名は「細菌性髄膜炎」

一応接骨院を経営している僕は、名前だけは知っていた。

いや、どっかで聞いたことあるなレベルだったと思う。


ネットで調べてみると

脳や脊髄を覆う膜の中に細菌が入り炎症を起こしてしまう病気と書いてある。


三人に一人が亡くなり、生き延びても脳に障害が残る可能性も高い。


・・・よく状況が呑み込めなかった。

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