3
ワイキキの繁華街を見ながら、ホテルのロッキングチェアに座り寛いでいる。 太陽の光が緩む、夕方の6時頃から散歩を始めるので、 まだ暫く時間がある。
気に入った本を読んでいる途中なので、心が弾む。 書名は、「21世紀、21のレッスン」で、イスラエルの歴史学者が著者だ。
英語の原書を眼鏡なしで、問題なく読める事が、不思議なくらいだ。ユバール ハラリ教授は、 最初の二冊、「サピエンス」と「ホモデウス」は、ヘブライ語で書き、翻訳家が英文にした。
でも、 現代の問題点を扱った三冊目は、初めから英語で書いた。 イギリスのオックスフォード大学に留学した才人だけに、 英語力もすごい。
人生の終盤期にワイキキビーチを 、毎日散策できた事を感謝する。波の音、楽しそうな人々の声。青い空、白い雲。海面をのんびり見つめている私。 現代の人類が、対応しなければならない問題の数々。
こんな人生の終わりがあっても良い。 家族に囲まれて、「人生最後のお別れ会」と言っても 、ご本人である私でさえ、いつの日が最終日であるかなど、皆目分からない。
家族を無理に引き寄せ、私の死がやって来るのを、待たせるなんてことは、できない相談だ。
長い地平線を見ると、地球上に存在している自分を感じる。 これでいいのだ。 若者達が海辺で楽しんでいる直ぐそばで、静かに死を迎えるのも良いではないか。
それにしても、食慾旺盛な自分だと呆れる。 食慾のみで判断すると、 まだまだ、この地上での人生が続きそうだ。
という事は、自暴自棄にもなれない。 命の終わりがどのように忍び込むのか、 冷静に観察する以外方策はなさそうだ。
人間の最後は勇気がいる。いつまで続くかわからない命から、逃げも隠れも出来ず、最後まで、自分が付き合わざるを得ない。
良い人生で良かった。 人生の最後を、勇敢に真正面から対峙する為にも、 人生全体が良好であった事は助けになる。
それを可能にしてくれた、我が家族である亡き夫と、オーケストラで活躍中の娘にも、心から感謝したい。
二人のお陰で、心配事が無い。ただ、誰でもが対面しなければならない、死の面影が近づいている予感がして、それを無事通過したいだけだ。
明日消えるかもわからない命であれば、 毎週、毎日予定を入れる事を躊躇する。社交時代は、私の場合終わったのだ。 友人作りの時代も終わったのだ。 波風を出来るだけ立てず、静かにあの世に旅立ちたい。(こんな気持ちになる時もあります。)
太陽が沈む寸前、枝を広く拡げたバンヤンの木で、多数の小鳥達の声。鳥の命は私よりずうーと短い。 それでも、 今日の出来事を、声高にまくし立てている。 鳥からの教訓みたいだ。


