ヤフー知恵袋で「JAXA 就職」で調べてみたら、「東大の超エリートしか入れません」と書いてありました。
これは、まぁちょっと違うかなと思います。
なんとか入った私立の理工学部。そこで一年目に数学の必修単位を4分の3落とし、
留年しかけても、JAXAで研究開発員として働けています
(もちろん先輩に沢山助けてもらいながらですが)。
とにかく「宇宙が好き」であったこと、そのため夢を諦めなかったこと。
それが私を苦手な数学と理系科目に向き合わせ、最終的に研究者になる夢を叶えました。
私がやってきた勉強法やモチベーションの高め方について、共有できたらと思います。
1. 中学で研究者を志してから
17階建てビルに相当するものが人の力で宇宙まで飛んだ。直径4m高さ53m、重さ300t、純国産ロケットH-2Aロケットが飛ぶのをTVで見た中学生のある日、私はいたく感動しました。
当時から読書が好きな文学少女であった私(クラスの端っこにいて、ずっと本を読んでる人、一人はいましたよね、それです。)は、宇宙や科学の本に手を出しました。
「亡国のイージス」「日本沈没」そして村山斉の「宇宙は何でできているのか」これらにすっかりハマり、将来宇宙の研究者になりたいと言い始めました。
親は、「アインシュタインも数学できなかったらしい、がんばれ!」と言ってくれました。(後に彼とは「数学できない」のレベルが違うと言うことに気づきます)
当時の成績は、国語がダントツで、社会がその次に得意。英語が塾に行っていて普通。生物がまぁまぁで、数学・物理は平均より大分下という典型的な文系でした。
いつも補修に付き合ってくれた数学の先生には、「まぁ、その調子で頑張ったらいつかできるようになると思うよ。がんばれ」と言われていました。
小柄でエネルギッシュな女性で、毎回補修や質問に付き合ってくれて、この先生のことは大好きでした、今でも感謝しています。
2.数学のノートは3分割にした
中学時代の私のノートは全てのページを3つに折ってありました。これは試行錯誤した結果、3分割が一番使いやすかったからです。
一番左には日付と教科書のページ、真ん中に板書内容、右に先生のしゃべっている内容や、自分の感想を書き込みました。
特に、自分の感想が大事で、その時の感覚や感情を思い出すことで、数学の問題の解き方を思い出すことができます。
3.分からないところは分かるまで聞いた
さらに、ノートには、授業中に分からなかったことは「?」を書いておき、授業後に先生に聞きにいきました。
本当にこれも大事で、UCバークレーやNASAに留学中でも、分からなかった英語は何回でも聞き直しました。
今でも会議中に分からなかった専門用語は上司や先輩にすべて聞いています。
4.理科は図表で覚えた
理科は、イメージで覚えました。
理科の教科書の中に図表がありますが、それで勉強しました。
数式を介さずにイメージすることができるので、自分に合っていました。
5.スキマ時間を活用した
数学では定石を覚えたり、理科ではイメージを覚えたり、覚えることが多くありました。
なので、食事中に目に入る机の上や、トイレの中、ベッドの天井などに、定石や理科の写真、英単語を貼っていました
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そんなこんなでこの後、私は高校に進学し、普通科の「スーパーサイエンスコース」に「なんか研究できるコースらしい!すごい!」と入りました(コースに入るのに試験は必要ありませんでした)
このコース選択により、私は文系か理系か悩むことなく、カリキュラム上自動的に、理系に進むことになりました。
ここから大学受験数学と理科という、新たな地獄が始まります。
〜次回:高校の理科の先生には「おいおい、大丈夫かよ」と言われました〜
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ここまで読んでくださってありがとうございます。
また高校入学からの話を、次回書いていきたいと思います。


