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行動を起こすために必要なのは、人としての想像力と思いやり

Image by Olia Gozha

外国につながる子どもの例で考えれば、前の職場で出会った中学3年生のある生徒は、生まれてからずっと、せいぜい自転車で移動できる範囲の地域にしか出かけたことがないという話を聞いて驚いたことがあった。

同じ横浜市内に住んでいながらも、わずか数駅先の中華街にも行ったことがなければ、みなとみらいにある観覧車にも乗ったことがないと恥ずかしそうに彼女は言った。

その子に出された夏休みの宿題の中には、博物館か美術館に行って、そこで見たものや学んだことについて作文を書くというものがあったが、彼女にとっては博物館も美術館も「知らない」のではなくて「わからない」。

なぜそんなに絵ばかり集めて飾ってあるのか? なぜ昔のものや生き物の標本などを集めてわざわさ見せているのか? そしてなぜそれを見に行って、感想を書かなければいけないのか?

日本語教育で考えれば、「博物館」、「美術館」という語彙をどのように説明し、そこから「図書館」、「体育館」などというように関連語彙をどのように増やしていくか、みたいな話になるのだろうけれど、そもそもそういう経験も概念もないところでは、教え方どうこうという話は成立しない。

このようなケースはかなり極端な例だが、程度の差はあれ、こういうことは多かった。このような成長の過程における基礎的な経験が圧倒的に少ない子どもたちと接しているときに、その問題の構造を日本語能力だけで捉えようとすると、やれ生活言語能力だ、学習言語能力だ、ということになるのだが、このようなアプローチから考えると支援は最初から躓くことになる。

アプローチの誤りに起因する支援の行き詰まりと焦りは、「やる気がない」、「発達に問題がある」という判断にいつしか変わり、問題の原因がその子自身に還元されてしまう。結果、本人は劣等感をさらに強めることになってしまい、自信をなくしていく中で、悪循環にどんどんはまりこんでいく。

このような問題は、日本語能力の問題ではなく、家庭内の家族関係や、経済的な問題、あるいは家族が保持する社会文化的な資本など、複数の要因が重なりあって構築されている。

保護者が非正規雇用であったり、病気などで働けないような状況の中でネグレクトに近い状態で育った子どもたちは、もちろん日本語能力についても問題があるわけだが、それは複合的な問題の一側面であって、全体像ではない。これを日本語能力の問題として捉えると、恐ろしい判断ミスを犯すことになる。

この生徒の支援者さんは活動の中で感覚的にこのような問題を把握していて、夏休みのある日、他の生徒たちと一緒に電車に乗って市内の美術館に行き、帰りにファミレスで食事をして帰るという小旅行を実行した。

このような行動を起こすために必要であったのは、もちろん日本語教育の専門性ではなくて、人としての想像力と思いやり、健全な常識とほんの少しの行動力だったのではないかと思う。

だから、このような問題に対しては、教室で博物館、美術館の絵カードや写真を見せ、次に図書館の写真を見せて「じゃ、これは何ですか?」という質問をして、「ほんかん」などと言わせて「そうですね、ほんがたくさんあります。これはとしょかんです」と説明して、語彙を導入するという方法ではなくて、このような問いかけそのものが成立するための経験を蓄積することのほうがはるかに重要なのだ。

こう考えれば、この種の問題は、外国につながる子、日本の子に関係なく、置かれた状況によって同じように起こると考えられる。そこで、外国につながる子どもたちの不幸は、こういった問題が日本語能力の問題として捉えられがちであるということだ。

この場合の日本語教育の専門性というのは本当に罪深い。日本語教育の専門性とは、単なる方法論ではなくて、人の成長と経験までを視野に収めていくものでなければならない。

この夏の日の小旅行で15歳にして初めて電車に乗ったという彼女も、もう高校3年生になり、就職について具体的に考える時期に入ったという。とにかく元気にやってますよ、という支援者さんからの連絡を久しぶりにいただいて、この夏の日の美術館や博物館についての宿題のことを思い出した。

実は今日、ある会議が少しだけうまくいったのかな、と思うことがあったんだけど、こんな連絡をもらって、やっぱり考えていくべき問題は多く、深いものだとしみじみ感じた。

駅から自宅までの道の途中の階段脇に自生するアジサイは、もうすぐ花を咲かせようとしている。たとえ真夜中であっても、金網に遮られていても、みずみずしい花を咲かせていけるような取り組みをこれからも地道に進めていきたいと思った。

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