top of page

大木充・西山教行編『CEFRの理念と現実』理念編、現実編を読む

Image by Olia Gozha

大木充・西山教行編『CEFRの理念と現実』理念編、現実編を読む。結局、この2冊の本が著したいことは、次のようなことだったのだろうと一人納得した。

あなたは日々の糧である金銭を得るためにあくせく働くことに嫌気がさした挙句、貨幣経済に呑みこまれることなく、自給自足的な生活を夢見たりしたことはないだろうか。

そして、ある人は実際にそれを試みたりもして、それが稀有な実践としてドキュメンタリーになったり、本になったりし、そういったものを目にして、当たり前ながらそれは簡単なことではないと、落胆する。そこで、多くの人は貨幣経済に呑みこまれることを半ば是としながらも、同時に、それだけではない生活の在り方についても志向しようとあれこれ試みる。

結局、そういうことなのだ。

貨幣経済と自給自足的生活との葛藤がなぜCEFRと関係があるのかと訝しがるあなたにもう少しわかりやすい例を挙げようと思う。

ある外国につながる子どもの学習支援を担当しているとして、その子どもの複言語による「学び」だけではく、その「育ち」を視野に収めた様々な活動を設計してみる。そこでは、学校教育における教科学習への橋渡しだけを目的としない、子どもの母語や母文化の陶冶にも注目した内容を準備できたようだと満足する。

しかし、その子どもの高校受験が近づくにつれ、活動の内容は受験対策に重点を置かざるを得ず、結局、得点につながる教科学習や形通りの面接練習を繰り返すようになる。

そういう葛藤の中であなたは何をすべきか?

つまり、『CEFRの理念と現実』が提示する問題は、私なりに考えれば、この貨幣経済と自給自足的生活、高校受験と「学び」と「育ち」のための活動の間の葛藤をどのように引き受けていくかということなのだろう。言い換えれば、この2冊の本はこの両義性に満ちた(あるいは分断された)世界の中で、あなたは言語教育の実践者としてどの位置に立ち、何をめざし、何を為すのかということ考えるための視座を提供しているのだと思う。

前置きが長くなったが、本論に入りたい。

『CEFRの理念と現実』理念編の「はじめに」では、ガンジーの遺言である「理念なき政治は社会的罪である」という言葉で本書の口火を切り、教育が消費財に変容しつつある現在の状況に警鐘を鳴らしたうえで、CEFRの理念の検討が理念編の目的であることを宣言する。同時に、言語は社会的象徴機能を保持し、その象徴的権力を行使した結果が本書の中のいくつかの論考であり、さらに広い意味ではCEFRそのものなのだと述べる。この象徴的権力の行使がCEFRにおいてどのように行われていったかについては、CEFR編集に関わった当事者自身が執筆した論考の中で明らかになっていく。

第1章の安江論文では、欧州の言語問題の背景、言語政策を概観し、欧州が現代の「バベルの塔」にならないために、どのように取り組みを行ってきたかについて振り返る。その一方で、この地における移民排斥やいわゆるBrexitの問題に触れ、欧州統合と一国主義的な動きのとの間には葛藤があることに言及する。

その中で、EUが「母語プラス2」の多言語習得を奨励する背景には、英語に続く言語としてのプレゼンスを示したいフランスの強い主張があったことを指摘し、欧州の言語教育政策における(崇高な)理念とは異なる文脈で展開されている生々しいパワーゲームの現実を読者に突きつける。そして、このような現実を目の当たりにして、日本における言語教育はどうあるべきかという問題提起を行う。

第2章の西山論文は、CEFRはなぜわかりにくいのか、という誰しもが抱く素朴な疑問に答える。本論では、70年代までの外国語教育の文脈をレビューしたうえでCEFRのコア概念としておなじみの「スレショルド・レベル(threshold level)」の形成過程に触れ、さらに自律学習の推進のきっかけがベルリンの壁崩壊という社会情勢の変化に後押しされたものであったことを指摘する。

その上で本論では、CEFR(2001)編集に関わった4名の執筆者の経歴や使用言語から、CEFRが英仏語の混在する環境、すなわち複言語状態の中で生み出されたことに言及し、このことがCEFRを一人の著者による著述のような内的整合性を持つものとしてとして存在することを困難にさせ、それゆえにCEFRとは、多様な立場の研究を最大公約数的に集約したもの、つまり、編集者の一人であるコストがいうところの「スイスのアーミーナイフ」のような性質を持つものとなったと説明し、このことがCEFRのわかりにくさの所在であると本論は示す。

ここまでが、いわば本書のイントロにあたる部分かと思うのだが、はじめにと2本の論考を読むだけでも、CEFRが当時の政治・社会的な影響を強く受けて編集されたこと、そしてこの書物の難解さの理由を理解することができる。

CEFRが内的整合性を持って作成されたものではない、という一点のみをとっても(私を含めた)日本語教育の関係者にとってはかなりの衝撃であろうと思うし、この点についての理解があれば、これまで日本語教育の世界でもしばしば繰り返されてきた(そして、これからも繰り返されるであろう)論争も不要であったのかと、愕然とするばかりである。

そして、3章からはCEFR編集の当事者の論考が続き、いよいよ本書の本番が始まると言ったところか。

ここから内的整合性を持って作成されたものではないCEFR内部(なんじゃそれ!)における象徴的権力がぶつかり合い、その火花がばちばちと飛び散り、それを浴び続けるような感覚をこれらの論考を読みながら味わうことになる。

(続く)

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page