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デイサービス(全日型)デビュー

Image by Olia Gozha

  母が老人性鬱で衰弱してしまったので、行政による介護調査の結果をのんびり待っていられなくなってしまった。とにかくリハビリしなければならない。地域包括センターのケアマネージャーに、要支援2でも使える範囲で、何とか空いているデイサービスを探してもらった。

 

 初めてデイサービスを利用する日。朝10時にお迎えのワゴン車が来て、母は車中からこちらに向かって小さく手を振りながら、おとなしくピックアップされていった。

 夕方、会社から帰った私は、既に送迎されて帰宅していた母の手荷物を確認した。母はいつものようにテレビの前のソファに座り、いたって落ち着いた様子で、おとなしくお気に入りのトランプ遊びをしていた。私は連絡帳を開き、書かれていた報告を読んだ。そして、その予想外の内容に小さく衝撃を受けた。

 「昼食後、強い帰宅願望が見られ、ずっと泣いておられたので、ベッドに寝かせてマッサージ師が体をさすって差し上げました。」

 

 母はデイサービスを利用している間、「自分は呆けてしまったので、もう家族から捨てられてしまった」と思い込んでいたのだ。

 後ろのスペースに車椅子を積んだ特殊なワゴン車に乗せられ、知らない人たちばかりの場所に連れて行かれた。周りを見ると、車椅子に座ったまま殆ど体を動かせないようなおじいさんもいる。足が変形して、杖を突きながら跛行しているおばあさんもいる。すぐに家に帰れるのかと思っていたら食事が出てきた。それで、二度と自分の家には帰れないのだと考え、絶望して泣いてしまったのだ。

 老人性鬱になり、衰弱して思考能力が著しく衰えていたことも原因していた。周りの人たちの喋っている内容が理解できない。何か説明されているのだけれどもわからない。言葉の通じない世界で、どうしてこんなことになったのか理解できないまま一人ぼっちだった。

 

 介護施設を“姥捨て山”と考えている老人は多いのではないかと思う。

 介護施設では、障害をもった老人たちが集められている。初めてその光景を見れば、健康な人間でも大なり小なりショックを受けるものだ。

 母がお世話になっているデイサービスを見学に行った時、インターンの大学生が数人、現場を見学していた。一カ所に集まった気の弱そうな男子学生たちは、明らかにビビりながら可哀そうなくらい縮こまっていた。

 そして、デイサービスを利用するほどの障害をもつことになった高齢者の多くは、やはり遠くない将来、死を迎えることになる。

 そういう場所なのだ。姥捨て山に見えても仕方がない。

 

 そうは言っても、母を姥捨て山に捨てたつもりなんてない。慌てた私は、他の施設だったらどうだろうと、あちこち見学して歩いた。結局、定員の問題もあったが、母が利用することになったデイサービスは、特に環境が悪いというわけではないということがわかり、しばらく様子を見ることにした。

 しかし、翌週の利用時も、そのまた次の利用時も、母はただ泣きっぱなしで、ベッドにずっと寝かされているだけだった。

 

 週一でデイサービスに通い始めて一か月ほど経ったころ、突然母は元気になった。 

 ここのデイサービスでは、午後のレクリエーションタイムに、ゲームをしたり、歌を歌ったりするのだが、思考能力が衰えていた母は、それらにずっと参加できずにいた。思考能力が低下したので、どれだけ簡単なものだったとしてもゲームのルールを理解することができなかったのだ。

 実は、母が通い始めた当初から、母を気に掛けてくれる男性利用者が居たのだという。たぶん現役時代は、部下を大切にする面倒見のいい上司だった人なのだろう。衰弱した母がひたすら泣き続けているので、デイサービスの先輩として、気に掛けて何かと声を掛けてくれていたそうだ。

 その日も彼は、根気よく母をゲームに誘ってくれた。その時のゲームはボール送りだった。かなりルールも簡単である。しつこく誘われるのでしぶしぶ参加した母だったが、腕の筋力が落ちているのでボールをうまく受け取れず、ボロボロ落としてしまったらしい。しかし母にはそれが逆に面白かったようなのだ。ボールを落とすと、周りの人たちが面白がってそれを笑った。11人兄弟の下から三番目で、もともと甘ったれでぶりっ子だった母は、調子に乗って「てへぺろ」状態になってしまったらしい。家に帰ってからも、誘われて参加したボール遊びが楽しかったと言って、何度も私に報告した。

 そしてその日の連絡帳には

「ステキな笑顔が拝見できました。」

と、書いてあった。

 

 それから母は、前向きに生活できるようになり、どんどん思考能力が回復していった。お友達もできてデイサービスを楽しめるようになった。あの時母を助けてくれた男性がその後どうなったのかはわからない。今では母が、そこの最古参になっている。

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