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周囲の無理解 ~介護の経験のない人は自分が理解できていないことが理解できない~ その①

Image by Olia Gozha

「お母さんは死なせなさいよ。健康な私達が旅行に行く方が大切でしょ。親を大切にするなんていうのはね、韓国人が考えた儒教という間違った思想のせいなんだから。」

 

 介護ベッタリになるまで、私の趣味はスキュバダイビングだった。

20代後半からやり始めて30年ほどになる。ダイビングも色々な楽しみ方の人がいるが、私の場合は、青い海のたゆたう波と波の間にストレスを捨てに行くのが目的で、宿泊先のラウンジに置いてある漫画なんかを読んで一日中ダラダラと過ごし、昼寝の合間にチョロっと海に潜るというスタイルだった。

 8年前に、年末のモルジブ旅行で同室になった女性から、次のゴールデンウィークに一緒に久米島に潜りに行かないかと誘われ、介護のためにダイビングを止めるまで、それから3年ほど彼女と一緒に旅行した。

 都内で診療所を開業している40代の皮膚科の女医だった。

 特に気が合ったからというわけではない。二人で旅行をすればシングルチャージが掛からないし、空港でカウンターを探したりする時に、一人が荷物を見張っていれば楽に動けるし、とりあえず便利だった。

 旅行の経験が浅い人だったので、どこへ連れて行くと言ってもこちらの言いなりで、目的地に着いてしまえば、お互い干渉せずに勝手にやっていたので、当初は私もそういう旅行スタイルが気に入っていた。

 女医も、私と仲良くなりたかったからというよりは、毎回新鮮で面白い場所へ連れて行ってくれるから黙って付いて行くというような感じだったと思う。

 

最大の難点は、その女医がゴリゴリの右翼で、それに関して教条主義だったことだ。

 

 右翼の中でも、ネットを中心に活動するネトウヨという種類の右翼で、街宣車に乗って叫びながら街を走行する伝統的な右翼ではない。

 天皇陛下のY染色体を信じない日本人はバカだ、とか、日本の国防費はアメリカに比べて少な過ぎるとか、よくそんなことを熱弁していた。それでも、無視していれば深追いはしてこなかったので、その話題に触れないように少し距離を置きながら付き合っていた。

と言っても、正直なところ、かなり自己矛盾を起こしている右翼だったと思う。

 本人は国粋主義者を自認していたが、傍から見ると本当の国粋主義者には見えなかった。中国人と韓国人を嫌悪しすぎた反動なのか、彼女の言動には、どこかしら常に白人コンプレックスが漂っていたからだ。

いかにも白人コンプレックスらしく、彼女は、トランプ元大統領の熱狂的な心棒者だった。

「安倍ちゃん(元首相)はトランプの腹心の外交部長なのよ」と熱く語りながら顎を突き出して得意げになっていた。

 日本人の名誉とはアメリカ白人の部下になることである、というのが、彼女の揺るぎない大前提だった。対等な関係や上司になるという発想は、ハナから存在しない。

 通信販売のアマゾンが大好きで、アマゾンで買い物をすることが上流階級のステータスだと考えており、「アマゾンで何でも買えるんだから、日本の小売店がいくら倒産したって平気でしょ」と言って、小馬鹿にしたようにフンッと鼻を鳴らしていた。

 因みに彼女は、日本人に対しては突然中学英語で話しかけてくるが、外国人に英語で話しかけられると日本語で答えようとする。

 医者というブランドによって、Facebookでネトウヨたちの教祖のようになっていたが、果たして本当にいいのか?あれで??

…知ったこっちゃないが。

 さすがに最後はうんざりして、どうやったらフェードアウトできるかを考えるようになっていた。

 

 フィリピンのオスロブ地区でやっているジンベエザメの餌付けが、自然保護団体に叩かれて中止になるかもしれないという噂を小耳にはさみ、そうなる前に一度は行っておこうということで、その年は女医をフィリピンに連れて行った。

 その頃は、母もここまで酷くなかったから、妹に預かってもらって、年に一度の息抜きをさせてもらうということで兄弟が合意した。フィリピンは新幹線並みの本数で日本から飛行機が飛んでいるので、何かあったらすぐ帰れるし、まあいいだろうということだった。

そして、そこで最悪の出会いが待っていた。

 行った先のダイビングサービスに、ハードリピーターで一人旅の女性が来ていた。広島の超大手メーカーの社員だというその女性は、私と誕生日が10日ほどしか違わない同年代の人で、ひたすら自分のダイビング経験を自慢し、周囲に対してマウントを取ることに必死になっている女性だった。

 職種を聞いてみるとアドミ(庶務)だという。54歳なので、「チーフとか?主任とか?」と、無難だと思われるような職位を挙げたところ、「いや。平社員。」と、特に恥ずかしがりもせずに即答してきた。会社員経験者なら、この情報だけで彼女の大体の背景がわかるところだが、アドミというカタカナ職種を聞いたことがなかった女医は、そうではなかった。研究所勤務だというので、アドミというのは新しい技術職の一種だと思い込んでしまったのだ。

 企業ブランドに目がない女医は、「ダイビング経験豊富な大手企業のエリート技術者」に完全に魅了されてしまった。そして、いきなり、興奮したように「一緒にモルジブに行かない!?」と叫んだのだった。

突然のことに、アドミも固まって目を丸くしている。

 私も一瞬混乱したが、そのうち、「これはフェードアウトのチャンスなのでは?」と考え始めた。

…が、その時。

女医が勢いよくこちらに振り返り、光り輝くとびきりの笑顔で、

「幹事は由美ちゃんで!」

と叫んだのだ。

そして、思い切り不意を突かれた私は、ついうっかり、

「ハイ。」

と返事をしてしまったのだった。

 この時点で、女医は、私が介護をしていることは既に知っていた。ただ、まるで実感がなかったことだけは間違いがない。単純に今まで通りに幹事をやってもらえると思っただけだ。

 そしてこの時、私の頭に、「友達にどうしてもと誘われたから、年末にダイビングに行かせて欲しい」と、兄弟たちに言い訳をするという考えが浮かんでしまったことも否定できない。

 とにかく私は、全く知らない女の人をダイビング旅行に連れて行かなければならないことになってしまったのだ。

 

日本に戻った私達はメールでやり取りをした。

兄弟への言い訳を得た私は、少しウキウキしながら計画を立てた。

そしてすぐに行き詰り始めた。

 私の旅行の目的は、基本的に、ダラダラしに行くことである。介護で疲れているので、精力的に動き回る旅行はしたくない。飛行機のトランジット回数が多い秘境には行きたくない。海の中でも、ある程度自由に動き回って、自分の見たいものを見たり探したり、グループが深場を攻めている時に上から眺めていたりする。そのリゾートに日本人スタッフが居なくても構わない。ガイドをつけずに自分たちだけで潜るバディダイブでダラダラしたかった。

アドミの趣味は私とは真逆だった。

 海の中の彼女は、大昔のジャルパックよろしく、ガイドのお尻にピッタリと張り付いて、ガイドが指し示したものをひたすらカメラに撮る。なので、彼女のリクエストを聞いてくれるような優しいガイドがいないとダメ。英語が全く出来ないので日本人スタッフがいないとダメ。朝から晩まで、時間の許す限り精力的に潜りまくる。旅行した場所を自慢したいので秘境に行きたがる。永年勤続で有休が余っているからと、短期旅行はダメ。

 私の計画は、ことごとく否定され、行きたくないような場所のリクエストがバンバン飛んできた。私が認知症の母を介護していることは伝えてあるにも関わらず、だ。

もちろん、私が幹事をやるなら私の旅行なので、アドミの希望は全て却下した。

 埒が明かないと思い、別行動を提案したが、私の計画の方に魅力を感じている女医になだめられてしまった。女医は、私にアドミを説得してもらい、私のプランに無理やり3人で行きたいと考えていたのである。

 限界を感じた私は、アドミと一緒に行くのはイヤだと女医に伝えた。

 

「ボケボケになってすぐ死んでしまうと思うけど、お母さんは施設に入れなさいよ。健康な私達が旅行に行く方が大切でしょ。親を大切にするなんていうのはね、韓国人が考えた儒教という間違った思想のせいなんだから。」

 

そして返ってきたのがこれだった。

 女医は、私の母さえいなくなれば、私がアドミを好きになり、自分の希望通りの旅行が出来ると考えたのだ。介護で疲れて倒れるなんて可哀そうだ、介護の呪縛から私が解き放ってあげるんだ、という、自己正当化の理論に酔いしれてしまっていた。

 

もちろんそれきり縁を切った。

きれいにフェードアウトしようなんて考えるんじゃなかった。

 

 一対一で介護をしているので、その作業は自分との戦いでもある。放り投げたくなる気持ちをギリギリまで抑え込んで、自分を鼓舞してウンチのついたオムツを替える。

 女医の言葉は、泥岩を砕き割る楔のように脳髄に突き刺さり、私の胸に深く深くドス黒いクレバスを割いた。

 母を死なせて楽になれと呼びかける人がいるのに、どうしてこんなに頑張らなければならない?

 時々、毒ガスのように湧き上がってくる考えに、吐き気がして眩暈が止まらなくなる。

 介護の経験のない人が、大した問題じゃないと思って投げかける一言が、介護者を終わりのない地獄に閉じ込めることがある。

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