何となく認知症かなと思ってはいたが、まだ全然危機感のなかった頃。
母の認知症に気づき、最初に動いたのは、区立の健康施設のスタッフだった。
健康施設のスタッフは、該当地域の地域包括センターに在籍するケアマネージャーにそれを伝え、患者と家族をサポートする準備を手配してくれていた。
そしてある時、区の健康事業として開催されている太極拳教室から帰ってきた母は、「あなたに渡すように言われた」と言って、ケアマネジャーの名前が印刷された一枚の名刺を、私に差し出したのだった。
その頃の私は地域包括センターが何なのか知らなかったが、太極拳教室で渡されたというので、認知症の件だろうと予想した。しかし、危機感の薄かった私は、せっかく渡されたその名刺を半年放置した。
半年たって、それでもまだ実感のないまま、「いつかはやらなきゃいけないんだろうから」と考え、全く他人事のようにお気楽に地域包括センターを訪れた。
名刺のケアマネージャーは、介護認定のことやら、区営のサービスのことやら、認知症になった時にどのようなことを準備しなければならないのか一通り説明してくれた。しかし、それでもなお、私にとって認知症は他人事であり、こんな深刻な事態になるなどと想像することが出来なかったのである。
暑い夏が過ぎ、一気に気温が下がって急に枯れ葉が舞うようになった頃、ついに地獄の扉が重い音を立ててゆっくりと開き始めた。
母が、急に生きる気力を失い始めた。極端に食欲がない。お風呂に入るのを面倒くさがる。着替えるのも嫌で、一日中寝間着を着ている。そして、何を言っても抵抗して言うことを聞かない。
自分の病気を自覚し始めたのだった。物忘れから始まり、日常生活のちょっとした段取りがわからなくなり、電化製品の使い方がわからなくなった。認知症を自覚するには充分である。
本当は恐怖と不安で堪えられなかったらしい。でも私はそれを知らなかった。何も言われなかったからだ。当たり前である。怖すぎて口にできなかったのだ。
そして母は老人性鬱病になってしまった。
鬱になった母は、食事に呼んでもベッドから出てこなくなった。食べやすいおかゆや、好きだったグラタンを作って枕元に持って行っても、朝までそのまま。無理に布団を剥がして手を引っ張っても立ち上がらせることができない。最初のうちは「もういいの…。死にたい…。」などと喋っていたが、そのうちア~ア~と弱弱しく呻き声を上げるだけになり、焦点の定まらない目でぼんやり虚空を見つめたまま、見る見る衰弱していった。
その日、私は、早めに会社を出て、地域包括センターに向かった。もう日は短くなっていて、17時前だというのにすでに周りは薄暗い。初めて地域包括センターを訪ねてから何か月も経っていた。最初に包括センターで認知症の説明を受けた後、次の段取りとして、介護認定の調査を受けた。結果は要支援2。介護サービスも殆ど使えないので、それきりだったのだ。
助けてもらえるかどうかわからない。お役所仕事なので「管轄ではありません」と言って追い返されるかもしれない。不安に怯えながら地域包括センターの扉をノックした。
前回対応してくれた名刺のケアマネージャーは不在で、面識のないケアマネージャーがひとり、帰り支度をしているところだった。
「どうされましたか?」
彼女はこちらを見た。さして驚いている風でもなく、落ち着いて話を聞こうとしていた。
多くの人を看てきたのだろう。ベテランの態度だった。
私は必死で状況を説明し、助けてくださいと懇願した。
「…わかりました。今からお宅に訪問させてもらっていいですか?」
ケアマネージャーにとっては、残業だし、完全に余計な作業だったのに違いないが、穏やかな笑顔で、迷うことなくこう提案された。
家に着くとケアマネージャーを母の寝室に案内した。電気の消えた暗い中で、母は身じろぎひとつせずに布団にくるまっていた。
「ああ、太極拳にいらしていた方ね。思い出した。」
ケアマネージャーはベッドに近寄ると、母の耳元に顔を近づけ、少し大きめの声で、しかし優しく、名前を呼びかけ始めた。
根気強く呼びかけていると、母がモゾモゾし始めた。タイミングを合わせてすっと背中に手を差し入れ、すかさず介助して上体を起こさせ、気づくとケアマネージャーは、優しく母をベッドから連れ出していた。それがあまりに自然な動きだったので、一瞬何が起きたのかわからず、私は呆気にとられて、ただただそこに立ち尽くしてしまった。
ケアマネージャーは母をリビングに連れて行き、ソファに座らせ、自分はそのすぐ横に座って母の肩を軽く叩きながら、
「正子さん、わかりますか?正子さん?」
と、さらに呼びかけ続けた。
ぼうっとしていた母が、ケアマネージャーの方にゆっくりと顔を向け、何日もぼやぁと虚空を見つめていたその目が、ケアマネージャーの顔に焦点を結んだ。
「あ…。あ?…あー。あー。あー!」
母は、挨拶をするときのように笑顔になり、犬や猫が「ちょうだい」をするときのように、胸の前で両手を上下に動かした。
ケアマネージャーは私の方に向き直り、ひとこと、
「大丈夫そうですね。」
と、言ってにっこり笑った。
私は、なんだか興奮してパニックを起こしながら、ただひたすらお礼を言い続けた。
ケアマネージャーが帰った後、急いでおかゆを作り、お箸を持たせたら、母はそれを食べた。
幸運にも、私が住んでいる地域の職員の方々は、みんなプロフェッショナルで、仕事に誇りを持っていて、モチベーションが高い。
私は彼らに救われた。彼らがいなければ、今頃、母と無理心中していたかもしれない。
大勢の人々に助けられ、今、私達はこうして生きている。