怖いのは
私のせいで
推しのリスナーさんが嫌な気持ちになったり
私が聴きにくるから
嫌だなとかおもってないかなとか
そんなこといったら
聴けなくなるね
何も役に立たてなくなったときに
それでも配信聴きにいってもいいのかなとか
推しているっていえるのかなとか
こわくなって
いけなくなって
さらに気まずくなってさらに行かなくなって
それで最後は推しから
なんで急にずっと来なくなったの?!
ってなるんだ
どうしてみんなみたいに
コミュニケーションとれないんだろう
どうしてどんどんこわくなってしまうんだろう
好きすぎると
失うことが恐怖になる。
また、失ったらどうしよう
配信聴きに行きずらくなったらどうしよう
推し活して
ただ、役に立ってないと
行っちゃいけない気がして
そのまんまでいいよって
親から言われてこなかったから
【役に立てないなら我が家の恥】
そんなの【うちの孫じゃない】って
おばあちゃんが・・・いうから
人のせいにするなっていわれるんだろうけど
【育児こそ最初にされる洗脳】だと思う
なかなか
これが抜けられない
生き方の法律のように縛られている
だから
【役に立てないなら推しちゃいけない気がして】
配信聴いちゃいけない気がして
おばあちゃん、は、私が自慢できないと
切り捨てるの
まず、毎回のこの思考回路から
離れたいでも
また襲ってくる何度でも
頭の中で 要らないっていうんだ
いつもそれで怖くて
おばあちゃんに嫌われないように
顔色伺って生きてきた
本当は、おばあちゃんから
【そのまんまでも大好きだよ】って
【自慢の孫だよ】って
だから私
それをきっと
【推し】に求めてしまっている
途中からおかしくなってしまう
それは【推し】に求めるものでは無い
推しから【認められたくて】
【必要】とされたら
私も生きていていいんじゃないかって
思うのはだいぶ思考回路歪んでいる
そんなことないのにね
大好きで
推しが
神推したちが
あんなに声だけで
人を楽しませたり、笑わせたり、感動する声劇したりしていてさ
【私にとって神様】のようだ
だけど神様じゃない。人間だ。
そんなもの求められたら迷惑だ。
推しに負担をかけてしまっているなら
人魚のように泡になって消えてしまいたい
でも聴きたい
声をただ聴きたい
自分でも自分の思考回路が怖い
自分の推し方を変えない限り
また同じ結末を
迎えそうで
推されたいひとと
推したいひとの需要と供給が
一致している時はいいけど
壊れたら、終わりな気がする
嫌われる前に
止まる
でも止まるときっと
沈没、する、よね
#人魚のように
#泡になる
#推し活
#育児は洗脳