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13/7/23

私が自分の左手を好きになった話。

Image by Olia Gozha

生まれつき、私の左手には赤アザがあった。

「単純性血管腫」という言葉を聞いた事があるだろうか?

別に検索する必要はないが、皮膚に赤いアザのようなものがある状態のことを医学的にはこう呼ぶらしい。

こんな大層な名前をつけられてしまうと急に恐くなってきてしまうのだが、実際のところほとんど害はなく、種類によっては成長の過程で消える場合もある。

色はピンク色からワインレッドまで様々。

私の場合このアザは左手の甲にあるのだが、外気温や湿度によって色の濃淡が変化する。

幸い私はこのアザのせいで虐められたりしたことはないのだが、一生付き合っていかなければいけないというのもまた事実。

実際、中学3年生くらいの時少しだけ悩んでしまったこともあった。

ネットで「赤アザ 生まれつき」と検索したり、当時mixiで「生まれつきアザがある」というコミュニティを見つけ迷わず参加申請を送ったことをよく覚えている。

そこには、私とは比べ物にないくらい「生まれつき」に悩まされる人たちが、それぞれの辛い心境を語っていた。

私はどうやら恵まれていたらしい。

当時中3だった私はネットに溢れる赤アザの情報は集められるだけ集めた。

でもその中に満足できる情報など1つもなく、結局分かったのは「世の中にはこの赤アザのせいで苦しめられている人がたくさんいる」ということだけだった。

顔にアザがあり、そのせいで虐められてしまった人。

生まれた子供にアザを見つけ、必死にレーザー治療をしようとしている母親。

友達に指摘されるのを恐れてファンデーションでアザを隠す女性。


それを知った時、私は自分が恵まれた環境にいたらしいということに初めて気づいた。

自分の性格の問題かもしれないが、左手について聞かれて困った事も気味悪がられて避けられた事も記憶の中にはなかったからだ。

むしろ、「生まれつき」と言って「え…」と返してきた女の子に対して「大丈夫触ってみなよ!普通!サラサラ!」と左手を差し出した覚えすらある。

周囲の環境、そしてたぶん、親のおかげで、私は特に悩む事なく生きてくることができたのだろう。

それでもやっぱり恐かった。

そうはいっても当時の私は中学3年生。

ネット上に溢れた真偽の分からない情報やいろんな人たちの心境を目にしてしまった以上、恐怖感を覚えないわけがなかった。

この手が将来大変なことになったらどうしよう…

そんなことを考えてただ天井を見つめるような夜もあった。

しかし考えても考えても答えなど出るわけがない。

正直、医者すら分かっていない答えに思考を巡らせるのは中3の私には少し荷が重すぎた。

「ともちゃんの左手いいなぁ、うらやましい」

左手について考え始めてから数週間後、私は自分の左手が嫌いになってきていた。

ああ、なんでこんなもの持って生まれたんだろう、って。

でもその考えはある日突然くるっとヒックリ返った。

学校から帰ってきた私に向かって、急に弟がこう言ったのだ。

「ともちゃんの左手いいなぁ、うらやましい」と。

正直意味が分からなかった。

何を突然、この子は言い出したんだ?と。

「え…?なんで?」

「だってアレンみたいでかっこいいじゃん!僕も欲しい!」


私は思わず言葉を失ってしまった。

どうやら弟はハマっているマンガの主人公のことを言っているらしい。

私の左手を無邪気な笑顔を浮かべながら羨ましそうに見ていた。


なんだか純粋に、嬉しかった。


いつかは救える人になりたい。

それ以来、私は自分の左手が好きになった。

この色も、この形も、私しか持っていないものだし、時には「火傷?大丈夫…?」と心配して尋ねてくれる人の優しさにだって触れられる。

同じものを持って悩んでいる人にはちょっと申し訳ない気持ちもあるけど、やっぱり私はこの左手が心底気に入ってる。

「生まれつき」もそんなに悪くない。


そしてそんな私には、まだ誰にも言った事のない小さな夢がある。

それは、同じものを持って生まれた人にいつか会いにいくということだ。

茶アザや青アザを持つ方には時々お会いするのだけど、赤アザってなかなかいない。

弟にことばをもらった当初は、「将来絶対お金持ちになって、単純性血管腫の研究にお金を使ってもらう!!」とか思ってたけど…

たぶん本当に必要なのは技術の革新じゃなくて、悩んでる人たちと面と向かって話すことなのかなぁ、なんて最近は思ってる。


正直、まだまだ分からない事だらけ。

でも、赤アザのせいで寂しい思いをする子供はゼロにしたいな。

どんなに嫌いなものでも、誰か1人にでも「好き」って言ってもらえれば、きっとちょっとぐらいは「嫌い」が小さくなると思うから。

それだけはわりと本気。


いつかは救える人になりたいものです。

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