【仏法】とは、深い。
私は宗教を語らない。
友人にクリスチャンから創価、曹洞宗、ほんとうに様々、いるからで
【政治・宗教・野球】は、語らないのが無難だと、新人衛生士のときに学んだ。
そして語るなら【基礎知識】くらいは知った上で話すのがマナーだということも。
【無知なら無知なりに素直に知らないので教えて欲しい】ということも。
【知ったかぶりで失うのは信用と信頼】で失ったら元通りにするのは2倍も3倍も労力がいる。
【社交辞令】は、仕方ない、としても
【社交辞令の通じない人に社交辞令や嘘をいうときも気をつけ】ている。
相手によって、【ベストな対応】をすること。
【真に受ける】人には
私は相手が傷つくとしても【真実】を告げたほうが関係性が続いている。
【真に受ける】人に社交辞令を言って【社交辞令】と気づかれたらもう二度と、信じて貰えないことを、身をもって知っている。
【真に受ける人は純粋】だから。【子どものように】
私の実家は【石材店】
【墓石】やさんなので
【お坊さん】とお仕事で交流があったけど
特にずっと覚えているのが
【ことねぇさん、これだけは譲れないということはひとつに絞りなさい。他は負けてもいい、と決めなさい。それが貴方を救います】
と小学生の私に言いました。
【文章を書く】ことだけ、負けたくない、とお坊さんに伝えると
【勉強、恋愛、仕事、は、それ以外になるから負けても譲りなさい。そしたらその一番の願いは必ず生きているうちに叶うでしょう】
【そして、友達と家族を大切にしなさい。自分が一緒にいると傷つくならどんなに好きでも離れなさい。その人と離れないとボロボロになります。好きでも、ダメです。離れて好きで居なさい】
あのときは、意味がわからなかったけど
いま、めちゃくちゃわかって、なぜか最近、過去に言われたことをフッと思い出す。
そして【言葉の真意】がわかると、パズルのピースのように、ハマっていく。視界が広がる。正解が近づいている。
......ゴールが、近い。
そう、感じる。
気を引き締めていこう。
#ことねぇ
#説法
#大切なものはひとつに絞る
#自分をボロボロにしない