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13/7/22

東京-京都をママチャリで完走した話④

Image by Olia Gozha

前回までの振り返り

友人のHRK氏の実家で朝を迎えた。やはり、実家という環境は非常に心地よいもので、僕らはその環境に甘んじてしまった。笑

なんとか出発したものの、静岡(以下、化け物)という化け物に翻弄され続ける1日となった。

化け物は僕らの正気を奪い、活力を奪い、そして僕らはマクドナルドの椅子に沈んだのである。


4日目(最終日)

結論から言う。京都を出発し、永遠にも思えたチャリ旅もいよいよ最終日を迎えたのである。つまり、東京ー京都500kmを4日で走破したことになる。

思えば非常に長い道のりであった。今回は、この旅の最終日、僕らが駆け抜けた軌跡を皆さんにお伝えしよう。


いよいよ4日目の始まりである。富士市内にあるマクドナルドに泊まった僕らは、バイト店員の「不法占拠になるぞ」というプレッシャーに耐え、なんとか朝を迎えたのである。

すると、早朝5時くらいに店長と思しきおばちゃんが出勤してきたのである。あー、また何か言われるのかなと思って気まずそうにしていると、店長のおばちゃんは僕らに衝撃の一言を放ったのである。

店長のおばちゃん「あなたたち、家がないの?」

どうやら、僕らはホームレスだと思われたようである。

無理もない、そのときの僕らは朝から汚れたジャージやスエットで、頭もボサボサ。。。ホームレスだと言っても大半の人が納得してくれそうな出で立ちである。

さすがに。。ということで店長に状況を説明すると、、

店長のおばちゃん「あら、大変ねえ、、気をつけてがんばってね!!今は、マフィンが無料だから食べていきなさい。ゆっくりしてっていいわよ^^」

バイトの店員とまるで対応が違うではないか。

思えば、僕らは常におばちゃんに助けられてきた。最初の、おまけしてお茶を振る舞ってくれたスーパーのおばちゃん。家に泊め、車で送ってくれたスーパーのおばちゃん。。。

そして、今回はマクドのおばちゃん。

どうやら、おばちゃんはどこの人でも優しいようだ。

全おばちゃんに感謝を捧ぐ。


早朝6時ほどに化け物(富士市)を出発した僕ら。今日を最終日にしようと勇んで旅立った。

化け物を抜けるルートは2つある。1つは、箱根の山々を越えていく勇者ルート。(かの武井壮は、神戸での合コンに参加するために自転車でこのルートを経由していったという。)

もう1つは、熱海を経由して少し遠回りする迂回ルート。当然、満身創痍の僕らは迂回ルートを選んだ。


熱海に向かうとういことで、僕らは一路海沿いに向かったのである。

海に着くと久々の美しい海の光景にテンションがあがった。

美しい。

この光景に勇気づけられ、また僕らはペダルをこぎ始める。


お昼くらいになんとか熱海に入るための山境に来た。南箱根と呼ばれる山地帯で本箱根ほどではないが、本旅では最大の難所となった。

何がきついって、、坂道の勾配が尋常じゃない。漫画みたいな勾配である。

「マジでこれ上るん?」と疑うYY氏。

お分かりいただけるだろうか?

特に下記の画像はそんな勾配の恐怖を物語っているように思う。

結局この山を越えるのに2時間ほどを要してしまった。

時刻は午後2時を回る。


その後もいくつか山を越えようやく熱海にたどり着いた。

熱海と言えば温泉街。観光地である。

熱海の海も非常に美しい。

山を越えた感動と達成感でさらに海が美しく見える。


しかし、おたおたしている時間はない。僕らは旅路を急いだ。

そして、ようやく熱海を越え神奈川県つまり関東入りしたのである。


感動した。関東までたどり着いたのだ。東京まであとわずか。俄然やる気が出てきた。


そして、神奈川県平塚市までたどり着いた僕らは、究極の選択を迫られた。

既に時刻は午後7時ほど。当初考えていた"東京"まであと70kmほどある。

しかし、あと20kmほどでたどり着く"東京"もあるのだ。


どういうことか?

当初考えていたのは品川。しかし東京は横に長い。

そう、、町田市があるではないか!!!

町田市といえば神奈川県との境であるが、そこはまぎれもなく東京都!!!


僕らのハラは決まった。今回目標にしていたのは東京都。品川など単なるイメージにすぎない。目指すは町田市。東京都!!

あと20kmほどということで僕らはラストスパートをきった!!

信じられないスピードで東京(町田市)にたどり着いたのである。どこにそんな力が残っていたのか。


いよいよゴール。電柱に「東京都」と書かれているのを見たときは思わず震えた。ついにやりきったのだ。(町田と言えど)東京まで来たのである!

その足で僕らは焼き肉に向かった。

勝利の味は死ぬほどうまかった。

こうして僕らの旅は幕を閉じたのである。


僕は大学1年の春休みに体験したこの経験を一生忘れないだろう。

たいしたことないじゃないかと思う人もいるかもしれない。

しかし、そのとき僕らは確かにゴールに向かって、1日、百数十キロという距離を生み出し続けた。

それは、確かにマンネリ化した日常を抜け出し、僕にとって”生”を実感できる経験だった。


あなたにとって”生きる”とは何だろう?


マンネリ化した日常を漫然と生きているのではもったいない。もし、このストーリーを読んで新しく何か始める人が出てきてくれたら、非常にうれしい。

もしよかったら、ご一報ください。喜びます。


4シリーズにもわたるストーリーでしたが、読んでくださった方ありがとうございます。また、なにかストーリーを書かせていただいた際、読んでいただけるとありがたいです。






P.S.

帰りについてですが、帰りは自転車を分解し京都まで郵送しました。分解し小さくすると格安で送ることができるのです。

そして、夜行バスで帰ってきました。笑

いやいや、文明の利器に感謝ですね。笑



おしまい。


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