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13/7/24

いじめと人生の転機(1)

Image by Olia Gozha

私は、6歳離れた姉を持つ末っ子で、私が物心ついた頃から、周りには大人ばかりだった。


だから小さい頃から、大人に気に入られる方法は良く心得ていて、「素直ないい子」と多くの大人に思われていたと思う。実際に、お年寄りや動植物を大切にする優しい気持ちも持っていた。

でも一度家に帰れば、こうと決めたら曲げない頑固者。正義感が強く、まがったことが大嫌い。負けん気も人一倍強い。感情が繊細で気性も激しかったが、自分の気持ちを言葉で表す術を全くと言っていい程知らなかった。だから嫌なことがあると、物に八つ当たりをして、それでも抑えられない時は泣き叫んだ。そんな未熟な子供だった。


そんなちぐはぐな人格なので、クラスの中では、うまく自分を出せずにいた。

成績はトップクラスで人に勉強を教えるのは得意だったし、クラスをまとめて物事を進めていきたい気持ちは強かった。けど、クラスメイトと自分の間に目に見えない壁があって、私は何もできなかった。

というか、「~ちゃんが嫌い。~ちゃんと話したら絶交ね」「うわーきたねー!」と他の子のことを悪く言って笑うクラスメイトが許せなかった。彼らがひどく幼稚に思えた。かと言って、いじめられている子を守る行動もできず、勇気が無い自分も嫌いだった。

小学校5年生にもなると、段々とクラスのみんなとぎくしゃくした雰囲気が色濃くなってきた。


小学校6年生のある日、クラスの女子ほぼ全員に隣の空き教室に呼ばれた。

その中には、私の親友(と思ってた子)もいて、「私、まゆちゃん(私)と一緒にいるのやめて、いくちゃんのグループに入ろうと思うの」って宣言された。私は、その親友を裏切りたくなくて、1度だって彼女のことを悪く言ったこともないのに、呆気なく裏切られたのだ。信じていた人に、自分の存在自体を否定された気分だった。

保険の授業では、ある男子が、「先生、なぜまゆちゃん(私)は毛深いのですか?」と私の気にしていることをクラス全員の前で質問した時には、恥ずかしさでぐさりと傷ついた。


学校でも、家でも、小さな鬱憤が何年も何年も溜まりに溜まっていった。

小6の終わりには、なんかもうダメになってきた。

自己肯定感なんてものは、もはや欠如していた。

ただ生きているだけ。

学校はもちろん、親にも、親友(と思ってた子)にも、誰にも心を許せない。

みんなと違う自分。学校でみんなとうまくやれていない自分は、ダメ人間だと思った。だけどそれを口にすると認めてしまいそうで、溜め込むしかなかった。

出口なんか見える訳ない。

状況を打開する術なんか見える訳ない。

その頃のことは、毎日どう過ごしていたのかあまり記憶にない。


家の居間で1人で庭を眺めてたら、心がぼんやりして、つーっと涙が流れてきたことは鮮明に覚えている。

“疲れた…”って思った。


(続く)


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