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自分の人生を振り返る②

Image by Olia Gozha

①を読んでくださった方、ありがとうございます。

1年生の2学期から、始まります。

夏休みに帯広から札幌へ転校してきました。祖父母の家と近いアパートに住んでいました。

習っていたエレクトーンも続けていて、家にエレクトーンがやってきた日を今でも覚えています。

両親は仕事をしていたので、放課後は祖父母の家に帰り、母が迎えに来てくれるという生活をしていたと思います。


2年生ぐらいの時かな。

うちは引っ越しをすることになったらしく、アパートの引っ越しの最中、祖父母の家に私は一人で行って待っているということになり、荷造りで使うヒモを持って、ヒモで一人で遊びながら歩いて行きました。

それからは、なんの疑問も持たずに祖父母の家で暮らしていました。

3年生か4年生の時かな。

母がいないことに気づきました。

「え?!何年も経ってから気づいたの?」と言われるかもしれませんが。

本当に・・はい・・いないことに気づいていませんでした。

気づいたキッカケは、学校の友達と学校が終わってから遊んだりしていた中で、友達はよく私の家に遊びに来てくれていましたが、逆に友達の家に遊びに行くことも出てきて、その時に気づいたのです。

友達の家には、お母さん、ママがいる。

あ・・私にはママがいない。

あれ?

と、思っても「どうしていなくなったんだろう」という気持ちまでも持てなく過ごしていくうちに。

「母がいない」という劣等感が、私の体の中に埋め込まれていきました。

それでも、母の存在を強く求めなかったのは、一緒に暮らしている祖父母、仕事でほとんどいなかった父、学校の友達という存在で私は満たされていたのだと思う。


5年生。

クラブ活動を始めた。エレクトーンをやっていたのもあり音楽は大好きで、エレクトーンの教室が同じ友達が学校の「金管バンド」に入るというので、一緒に入った。

私が担当した楽器は「ユーフォニアム」。マウスピースで音を鳴らすことができなければ、楽器の音も出ないので、必死に練習したのを覚えています。

体育のドッヂボールで、左手の小指を骨折しました。

学校の授業の算数の中で、珠算があり、楽しいと思ったこともあり、珠算学校に通いだす。(最終級:珠算検定2級)

〇〇〇式にも通っていたな。


6年生。

運動会の行進での演奏や音楽会での演奏もあるはずだったのに、身体測定で「身長と体重の比率が異常」ということで、病院に検査に行くことになる。今の自分にとって、昔の自分が羨ましいが、段々痩せていっていた。

様々な検査をした結果、「甲状腺機能亢進症」という病気と判明。

肺活量も少なくなり、体も非常に疲れやすい症状もあり、金管バンドは残念ながら辞めることになった。


6年生の2月。忘れもしない女子がいつかやってくるあの日。初潮。

朝起きて、トイレに行くとパンツに血がいっぱいついていた。

おそらく、学校の保育で学習はしていたであろうことだろうけれど、全く理解不能で、ただただ怖いし、恥ずかしいし、祖母に泣きながら「血がいっぱい出た」と伝えると、それは「生理」だと教えられた。

体が重だるくて、その日は初めてナプキンをあてて、学校を休んだ記憶がある。

そして、極めつけ・・そう、よくあるやつです。

夜ごはんに、赤飯が出てきました。

生理が初めてきた時には、赤飯を食べるということを祖母から聞きはしたが、それを祖父や父に知られることというのが、恥ずかしくて、「何がお祝いだ・・ただの恥ずかしめだ・・」と思ったことを鮮明に覚えています。


習い事をよくしていたな。

・エレクトーン

・そろばん

・〇〇〇式

・〇〇英会話(Englishname:セリーナ)←先生が勝手に名付ける。

・夏休み、冬休みには、短期講習

ひそかに、祖母は私立の中学に行かせようとしていたみたいだが、興味なしで普通に市立の中学へ進学。


祖父母は、私が欲しい物はなんでも買ってくれた。

父は、「(ファミコンのカセットを)見に行くか」と時折、仕事が休みの日曜には私を誘い、思春期特有か歩くのも距離を取りながらも、一緒に出かけて、欲しいと思うカセットを父に言うと、買ってもらえず「見に行くかって言ったしょ」と言われる・・。そして、買うカセットは父が納得したカセットだけだった。

スーパーマリオブラザーズ・ドラクエⅢ(ドラクエシリーズはその後続けて購入されていく)・SONSONなど。

スーパーファミコンになってからは、マリオ・ドラクエ・シムシティ・麻雀など。

小学校の卒業旅行に、父と二人で小樽からカーフェリーに乗り、新潟~千葉へ行き、ディズニーランドに初めて行き、父が通っていた千葉の大学、東京タワー、日光猿軍団が流行していた頃で見に行った日は休みだったこと。フェリーでの船酔いがひどかったことは鮮明に覚えていて、今後絶対にフェリーには乗らないと思った小学校卒業の春。


ここからは、恋愛要素がたくさん出てくる思春期編。

自分の人生を振り返る③へつづく。

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