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13/7/2

「プライド」と「悔し泣き」

Image by Olia Gozha

私のプライド

中学生の頃、私には自慢できることがひとつだけありました。

それは「中距離走なら誰にも負けない」ということです。


たまたま入った陸上部で中距離走を始め

たまたま800mと1500mで地区入賞をしてしまい

たまたま全校が集まる朝礼で表彰をされた


もちろん練習はしていましたが、練習に本腰を入れたのは入賞をしてからです。

もちろん、全国大会に行けるほど速くはありませんでした。

でもそんな時に「通っていた中学校では1番速い」というプライドが自分の中に生まれました。


体育祭は「晴れ舞台」

通う学校によって異なるかもしれませんが

体育祭に「1500m走」というつまらない競技がありませんでしたか?

あの競技は見てる方には退屈ですが、私にとっては「晴れ舞台」でした。


1,2年と体育祭では「1500m走」は必ず1位

体育祭はクラス対抗だったので、私はクラスにいつも貢献することが出来ました。

・・・・3年の体育祭を除いては。


初の2位・・・


3年の体育祭「1500m走」で、私は初めての2位でした。


私はその後のお弁当を一口も食べることが出来ず

みんなが教室で食べている中、一人だけ廊下に行きました。


一人になると

急に負けた悔しさが込みあげてきて

涙をこぼしたことを今でも覚えています。


その時の私は感情の赴くままに歩き出し

気づいたら校庭の前に一人で立っていました。


そして、私は走り出しました。

200mトラックの校庭を7周半

さっきまで走っていた1500mを一人で走り出しました。


何故、一人で走りだしたのかはわかりません。

ただ、無我夢中で走りだしたことをいまでも覚えています。


クラス対抗は1位


走り終わるとスッキリしました。

そして、その様子を見ていたクラスメイトに


「なんで走ったの?(笑)」

「この後の競技、頑張ろうね!」


など、笑われたり励まされたりクラスの士気が上がったりと、不思議な感じでしたね。

そして結局、クラス対抗は1位になれました♪


「プライド」と「悔し泣き」


私は「井の中の蛙」でした。

私は小さな山奥の学校で「1500m走が一番速い蛙」でした。

でも、今思えばそれでも良かったと思っています。


その時の15歳の少年は

  • 自分に「プライド」を持てたこと

  • そのプライドを壊されて「悔し泣き」をしたこと

この2つをあの時に体験できて良かったと

大人になった今でも、記憶に残っています。

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