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節電虫の誕生 4.3.3. やった!

Image by Olia Gozha

このように、1996年9月7日に省エネバンガード21に応募し、私の予想に反して一次書類審査をパスし、11月14日の第二次ヒヤリング審査に進むことができました。 

この第二次ヒヤリング面接審査が終了して約40日後の12月25日に節電虫(益虫)が審査委員会で表彰の最終選考に推薦されていること、そして、何らかの賞が与えられる可能性が極めて高いことをファックスで(財)省エネルギーセンターより連絡いただきました。これは私にとっては実に素晴らしい、今までに最高のクリスマスプレゼントでした。

賞の正式確定の前に事前に連絡をいただいたのは、翌年1997年1月29日より東京で開催されるENEX‘97展に省エネバンガード21受賞機器・システムのPRパンフレットを作成するのに一ヶ月ほどの時間的な余裕が(財)省エネルギーセンターに必要だったからです。

1996年のクリスマスの時点で、何らかの賞を受賞できる内示をいただいた省エネバンガード21応募各社はそれから約一ヶ月間で、受賞機器・システムPRパンフレット作成用の版下を準備し、それを(財)省エネルギーセンターに送付したりしました。

その間に、賞の最終確定作業が通産省内で行われ、翌年、1997年1月23日に記者発表という形で平成8年度(第7)「21世紀型省エネルギー機器・システム表彰」(省エネバンガード21)受賞機器一覧が正式に公表され、最終的に受賞内容と受賞社(者)が確定しました。

記者発表後すぐにその内容は(財)省エネルギーセンターの連絡事項として、先ずファックスで1997年1月23日15時50分に私の事務所に送られてきました。更に、別途、正式な書面通知という形で受賞内容と、受賞社名一覧表が翌日24日に郵送されてきました。

ついに、節電虫(益虫)への(財)省エネルギーセンター会長賞受賞が確定したのでした。初めての応募でした。開発のための物、金、人のいない中での孤軍奮闘への贈り物でした。異業種からの応募でした。無欲の受賞でした。公的な認知を受けて、これ以上の喜びはありませんでした。ついに“やった!”。

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