大学4年5月
チョコ子と2人、キャンパスの階段をタタタとあがる。
韓国語の授業は趣味でとったつもりだが、まあまあにしんどかった。
うちら以外は全員ピカピカの1年生ということで、我々ドロドロの4年生は最高に先輩ヅラをしながら古びた割に綺麗なままの教科書を持参。教科書は毎年改訂されているため、一概に82ページを開けと言われても3年前の教科書だと「そんなページありません」ということもしばしば。それでも、優しい後輩に助けを媚びながら、「私は、女です。」ぐらいの一番大事な意思表示はイケメン韓国男児に出会っても伝えられるまでになったのだ。
ヨウコ先生、本当にありがとう。
外はもう5月になる。
うんと南からやってきたあったかい風が、どんどんと形になって見えてくる。
入学したてのころ、5月といえばクラスのほとんどが地元へ帰郷し、懐かしい香りに安堵して、都会人がいかにスピーディーな生き物か真似してみせたり、やっぱいいなあ此処は。と起きたての朝日を必要以上に感じてみたりした。でも居心地のいい人たちへと別れを告げたら、すぐにまたあちらの世界へ戻らねばならない。だから学校が再開すると、みんな何かしら故郷のかけらを持って登校したりするもんだ。五月病と厨二病は、お医者様にだって治せないのだから。それこそ皆、必死に闘ったものである。
しかしそれも、遠い遠い1年前。
2年生にもなれば、みんなすっかり遊び方を学んで地元帰郷組もずいぶんと減った。
バイトが忙しくなったり、今いる場所として着実に根を張ってしまうと、なかなか長い休みを取れない子も増える。あんなに心配していた期末試験も、今じゃ誰も怖がらない。
島に行ったり、肌を焼いたり、髪染めたり、いろいろ忙しいんです。
同じ5月でも学年が上がればこうも変わる。それが面白いところ。
長い髪を無造作にかきあげ歩く国際クラスの生徒たち。右手で引くキャリーケースは、以前なら地方へと一目散に帰るためのそれだったが、今じゃ放課後ソウルのためのそれ。
パスポートを暑そうな太陽にかざしてiPhoneで写真を撮っている。
この時期は特に、クローゼットからオフショルを引っ張り出してはみんなが肩を出す。
するとそれに続いて、ヘソを出して足を出すから、キャンパスはあっという間にファンタスティックな夏の正午でいっぱいになる。他校の男の子たちが遊びに来たりしないの?とよく聞かれたもんだが、塀のまわりにはゴールドクレストの木が隙間なく植えられてるから外とのコンタクトはほとんど取れない(残念です)。うちは女子校だから、いつだってお楽しみはゴールドクレストの外でと決まっているのだ。
ああこの季節ほんとうにすきすき、学校からいい香りがするもん。
だがしかし。今年はきっと端から端まで全てが違う。
我々は最上級生・最高学年の地位に君臨したわけで、いま今日もここに鎮座している。
1年生だったあのとき、まさしく神のように見えた「たまにしか学校へこない4年生」は、あくびしてる間に自分の番になっていた。なんてこった。
返されたテストを八つ折りにして、添え物みたいな小さなバッグへ押し込む。
「卒論の相談しないとだから、英二郎くんのとこ寄っていい?」
また2人、階段をタタタとのぼる。
シーンとした廊下。職員用トイレ、やかん。
西側の窓から夕日の端っこが見えるくらい。4Fの研究室フロアはいつもこう静かだった。
今まさに自分の部屋を出て帰宅しようとしている英二郎くんを押し返すこと1時間、帰りのチャイムが鳴るまで拘束しては、お喋りな割に何を言っているのか分からないインコみたいに2羽そろってぴーちくぱーちく。
“生きてくためには働きたい” けど “あのダサいスーツはまぢで勘弁”なこと。
美容院で「就活」って言葉を出したら、最終的な仕上がりが最初に見せたイメージカラーより暗いトーンで完成し、本当に萎えてること。
そもそも、自分が何をしたいのかとか全然わからんこと。
あと、そうだ。卒論卒論。その相談をしに来ましたということ。
どれも、英二郎くんに話すと「(笑)」という返答しかされないため、逆にとっても話しやすかった。懐かしいルールを繰り返すでもなければ、親身になってるフリもしない。「まあ、そんなに頭抱えて悩むことじゃあないですよ。(笑)」というテンションで、結果他人に興味はない。という彼の脳みそが、まあまあ好きだった、本当に。(笑)
私も、全然興味ないよ。大人なんてさ。という気持ちも、彼には牙をむかない。
「君は、そういう格好で面接にいったほうが案外ウケますよ。」
「ウケられても困っちゃうけどね(笑)」
「てか先生、帰んないの?」
「君たちが帰らせてくれるなら今すぐにでも帰ります。」
「「だよね、ごめん。まじで。(笑)」」
今日もまた仏のような先生の苦笑いへと手を振り、研究室の扉を閉めた。
酔っ払ったら結構かわいいんだけどな、先生も。
金曜日。予報よりか少し蒸し暑い、5月イブニング。
大学3年9月
時を戻す。
3年生といえば、自分の足でどこにでもいける感覚を得てこれまた一気にファンタスティックなアダルト街へとこの身を投げ打つ気配がした。“最近ハマりだした遊び“が、センター街から4丁目のザギンへ移った頃。放課後TKは放課後ケントスへ。ここにはブラックピンクもシェイプオブユーも爽健美茶もないけど、スーパー・トゥルーパーもビートイットもあるし、ジョーカー(ジャレッド・レト演じる)のような危険で甘いお兄さんこそいないが、愉快なおじさんは沢山いる。東京の真ん中で、日本のサラリーマンが愛と平和を叫ぶ姿を見てなんだか安心したりもした。
これこれ〜、これぞまさしく”ダンシングナイト“やんなあ。って知らない時代に体を揺らすのが意外と楽しい。なんか落ち着く。
「この人たちが面接官だと思ったら、怖くないのに(笑)」
チョコ子がケントスのチュロス片手にそう言っていたが、きっと間違いない。
あそこで踊っている彼も、あの人も、きっと昼間はそんな感じ。
で、夜はこんな感じ。
大学3年11月
授業前の教室にて。
みんながなにかをコソコソと質問しあっている。
「合同説明会、行った?」「まだ」「一緒行かん?」「私服でいいの?」「無料なの?」
楽しそうなのかつまらなそうなのか、いやこれ実に微妙なお誘い。
(しかも結局行っていないので私には実態がわかりません。)
もし今行こうか迷ってる人がいるなら、まずは なんで迷ってんのかを考えてみると案外答えはスムーズかも。なんとなく行ってみるもアリ。どんな企業が参加するかは事前にグーグルが教えてくれるし、狙っている企業が参加するとなれば尚更楽しいかもしれない。ま、ともかく参加企業をググってみると分かりやすいですね!
こりゃあ気休めに行くという動機以外、なんもねえな(笑)と思った人は、私のように交通費と天秤にかけて、アッサリ行かない選択をとります。行きたいかたが、行ってください。仕事と同じく、働きたい人が働きましょう。
なんで迷ってんのか、これは就活に限らずこの先も、己にとっても使える質問かもしれない。
大学3年12月
夢のような3年生ライフも終わりが近づくと、今度は息を合わせたようにみんなが髪を黒く染めた。
不自然なまでに黒い。クラスメートを見渡しても、くろすけばっかり。それにちょっとあなた目をどこへ忘れてきたの、カラコンは…してないのね、随分アッサリしたわね。
泣けるて…。前のが可愛いて…。何故か私が悲しなるわ。
しっかしまあ“将来のことを真面目に考えて“髪を黒く塗るとは、なんてヘンテコな思いつきだろうか。「受かるエントリーシート」「受かる受け答え」そして「受かる髪色」、なんだそれはー!左眉は上がり、首は傾く。わけがわからんと体も言いたがる。
やる気満々なのは素晴らしい。だってのになんだその髪色は。
今日まで生きてきて、答えが「黒」しかなかった人生が彼女のどこにあっただろうか。
少なくとも、いつものほうがずっとよかったし栗色のロングが心から恋しかった。
不思議だなあ。
なんも考えなくていいから黒に染める、それが夢と希望にあふれるトゥエンティーワンのはじめの1歩だろうか。はて。
大学3年1月
年が明けた。
親戚一同集合したり、ご近所さんへ挨拶に行ったり、何かとみんなで集まる機会も増える。するとそのたび、聞かれたもんだろう。
「今年はいよいよ4年生。就活大変だね、がんばってね。」
そして続けて、「なにになりたいの?」
こっれはもうしゃあない。向こうも全然興味ないけど聞くしかない。
こっちはこっちで「わからんて」とペンで書いて、肩からタスキでもぶら下げておきたい。だって本当この時は、「わかりません、まだいろいろかんがえちゅうです」って全部平仮名で書いたような気持ちだった、私は。
なりたいこととか分からん、楽しく生きたいんじゃ。としかお答えできないので、母も「ま、この子なりになんか考えてるみたいですわ」と苦笑いしつつ、笑っていた。
そして21歳の誕生日を迎える頃。自分の“就活”に初めて動きがでる。
(なんせ今迄インターンにも説明会にも行ったことがなかった)
今思えばこの年は、経団連が定めた解禁日が3月1日だったのでそれよりかは少し早いスタートだったのか。「だからって3月1日に始めるんじゃ遅いんだよ」とうちら散々脅されてきたけど、まあ逆に2月に始めてればセーフってわけじゃないからね(笑)当たり前だけど、4月以降に初めてもいいと思いますよ。「それはどうぞ、もう自分で決めてください。」ってこう言われたら、不思議だけど世の大学生もみんな「え、なんか知らんけど3月に解禁すんのか。じゃあちょっと1月ごろから準備してみるか。焦るわ。ワロ」って自分から動いてみたりしそうだけどなあ。
そもそも、就活って別に運動会じゃないのよね。ライバルはすぐ隣にいたとして、「よーいドン」では全然走り出さない。もう、全然走らん。フライング歓迎、参加拒否可能、ルールガン無視。私は歩く。これぞヒトの姿、うちらホモサピ。だから多分、ルールとかなかったんだわ!(笑)って今なら分かる。
私が3月1日AM12時にうっしゃー!解禁じゃー!とハチマキを巻こうが、「なーんだまだ3月か。どうりで寒いわけだよ」と冬眠していようが誰も興味はないでしょう。
そんなことです。(じゃあ冷静に、解禁日とは何か。)
大学3年2月
そういうわけで市原、自分の就活になんとなくスタートを切ることになる。
今宵 初めて一次選考へ行くこととなった。(説明会はもっと前に開催されてたのかも…でも私は参加しておりませんでした…!案の定!)
一次審査の会場は、都内の本社ビル。日本中どこのお宅にもある例のあれを作っている某大手企業ということで、一次審査といっても少人数制の堅苦しくないインターン形式。
志望動機、大学時代に頑張ったこと、お前の長所・短所、あと なんちゃらかんちゃらと、いくつかの質問に長い返答を添えて応募。そうしてめでたく書類審査通過の連絡がきた全国の21歳たち諸君が、今日ここに集まったというわけです。
勿論、わたくしはそんな大層な志望動機が書けるはずもなく、書類審査など通るはずもなく、完全なる“ママのコネ”でその場にやってきたアンポンのタンでありました。
たまったま、お仕事中にママが偶然再会したお友達という方が、こちらの企業に勤めてらっしゃるということで、「やーうちの娘、ほんまにあかんねん」と喋りだしたおかんに、「ではインターンまでならお手伝いできる」とのことで頂いた有り難いお話。まじでかたじけない。(ところで“コネ”というこの2文字、日本に限らず世界中で存在するものですが時には批判の対象になることも。でも言ってしまえばそれってただの「仲良し」なのであって、私が人事なら、信頼している大人のコネで取る新卒のほうが、なんかよう分からんけど嘘っぽ。っていう志望動機を面接で投げてくる子よりずっと欲しい。だから、もし使えそう+あなたが納得しているなら使えばいいんじゃないかな。だって大人の世界ってそんなものばっかりだと、うちのオカンが言っていた。)
そんなわけで、どんなに酷い志望動機を送ってしまったとしても、短所に「算数がビビるほどできない」と正っ直に書いたとしても、一次審査であるインターン参加までの切符は手に入れていた。が、どちらにしたって志望動機は書かねばならないし、万がの万が一、二次審査へ進むことになったら、面接でやはり聞かれるのだろう。
「なぜ、弊社を志望したのですか?」。そうよな、それは聞くよな当たり前だ。
しかしまあ大手企業と言っても、それまで全然知らんかったという会社がボンボンでてくるのが就活の常。私も今回の企業様のこと、なにも存じなかった。
そこで家内をくまなく調査したところ、確かに我が家のいたるところで製品がちらついた。最も代表的なのがキッチンバサミ。これには世話になってる。
でも別に、このキッチンバサミに辛いとき励まされたり、勇気付けられた事はないし、落ち込んだ時、なあーに、私にはキッチンバサミがあるんだよ。とかもない。(※商品は素晴らしいです、ほんと。よう切れます。)それこそ、“キッチンバサミと私“的なエピソードがある人はいいけど、私は料理もしないし(もう割と致命的)。
今まで散々、嘘もお世辞も言ってきたのに「志望動機」となると、っまあ書けなかった。
そいや先週、3年生全員参加の就活セミナーで、大人さまの有り難い話を聞いた時。
今までうん千人という就活生の面接をしてきたという50代前後のスーツ姿をした彼によれば、「なぜ弊社を志望したのですか」というこのお決まりの質問に対し、君が “ファン”である限りは受からない。と断言する話があった。(あ、そんな言い方ではなかったかもだけど、そんな感じでした。要は。)
「私は小さい頃から御社の商品が本当に大好きで、なのでこーしてあーして…」「私の人生は飛行機で変わったんです、なので私もお客様の…」という調子のこと。
そりゃ確かに、ま納得もできる。キムタクがファンと付き合うかっていう話よね、否定はしませんよ。もちろん。ただ、なかなかね。
それに向こうは、「〇〇が好きで…」って言葉をうんざりげんなり、もう聞き飽きて溶けそうになってる身です。実際に私も同じようなセリフを面接で言ったことがあった。ドヤ顔で、「これは私のバイブルなんです」と。その時の人事の「ほいほい。」って顔ときたら忘れませんたら。んもう、鼻くそ投げたなるわ。(嘘よ、うそうそ、嘘です大嘘)
だがしかしbut。今回のキッチンバサミの場合、まず大前提として“ファン”でもない。ぜんぜん。プロに徹して、美しいエピソードを書けばいい。得意の妄想力でいくらでも書けるじゃないか。そうと分かっているものの、何故だか全然ペンの先っちょがえらく重たかった。
こんな風に真面目な顔して志望動機を考えるのは、人生で初めての体験だ。
今となっては、これが人間のおもろいとこ、と思うばかりだが…それまでだって地元でアルバイトするにあたり、そうだな何回も履歴書は作ってきた。志望動機だって書く欄があるんだからそりゃあ書いた。でも絶対そんなシワとか寄せてない。
長所「よく食べます。お店のフードロス、減らせます。」短所「算数ができません」
あ全然だした、これで。18歳だったし。(とんだ言い訳)
でもなぜ“就活”となったら志望動機を書くためにこんなに悩むのか。
書けへん書けへん〜となるのか。それはやっぱり重みだろうなあ。自分の人生懸かってるから、とかそこで働いて給料を頂き、それで生きてくわけだから、とか。
いんや、待て待て。(笑)それは地元のアルバイトも同じじゃないか。
少なくとも働いて社会の仕組みに入り、ありがたい賃金を頂き、生きていく。へたしたらそこで出会ったイケメンのお兄さんと付き合い、結婚し、人生が大きく変わる。(これ、実際に私のバイト先のお姉さんで2名いらっしゃった本当羨ましい)
大学に行っているからなんだ。中卒・小卒、関係ない。学士号を持っていても、私はこんなにアンポンタンだ。息してる限り、いつ何時でも人生懸かってただけの話なのだ。
逆に言えば、そんなに重たく考えるもんじゃないよってことじゃなかろうですか、これ。
“就活は人生懸かってる”、そりゃあ間違いないよ。
でもそれを言い出したら、人生は昨日も今日もあなたにぶらさがり、今日ここまで休みなく命懸けな うんじゅう年だったはずだ。
どうせ生きる。なら、明るい顔しとこ。(笑)心身ともに。
面接もそう、真面目な顔・怖い顔だけじゃその人のことは分からんから。
必死になって「志望動機の書き方」を読むくらいなら、日本歴史まんがを読み返した方がずっとためになる。嘘じゃないよ、これは絶対に本当。
ーー「うちらの就活日記」つづくーー