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13/7/1

浪人生って、どんな感じか知ってる??つらいぜ浪人生

Image by Olia Gozha

ばかみたい流れる東進のCMのせいで浪人時代を思い出したのでつらつら書くことにする。

第一章「東大代ゼミ京大代ゼミ東大代ゼミ京大代ゼミ」

僕は高校三年生の時にはいわゆる進路未定のだめだめ学生であった。

僕は漠然と大学に行くと思っていたが、世の中そんなに甘くはなくどこの大学にも受からなかったのだ。

よくわからないプライドと変な自信が、最低ライン明治学院というなよくわからないラインを作っていたのだ。

「奇跡は起きる」だなんて、あまちょろのバンドマンが歌いそうな歌詞を平気で信じているあまちょろのぼくだった。

でも大学は行くもんだと思っていたので、とりあえず漠然と予備校にいくことにした。

さて困った。予備校に行くにはお金が必要である。しかし幸いこの大学全入時代、僕が予備校に行くことはもう必然の認識事項だった。でもこうゆうのに順序があるらしい。お父さんに形式だけでも土下座が必要だとお母さんのキャサリンに促されて、まるで僕は医者の家系の息子が急に教師になりたいんだと厳格な心臓外科医の父に決意表明をするような上っ面で、お父さんのダダディの部屋に入った。

ダダディは厳格な心臓外科医でもなんでもない、ただの上っ面なので土下座をみせる前にその空気に耐えられなくなり「あ、うん」とだけいった。なにが「あ、うん」なのかわからなかったが部屋をでるとキャサリンがよくやったという顔をしていたので僕も、これで教師になって恩師の意思をつげるというようなうわっつらな顔をした。

とにかく僕は予備校に行くことになった。

どこにいこうかなと思った時それは流れた。

「東大代ゼミ京大代ゼミ東大代ゼミ京大代ゼミ」

http://www.youtube.com/watch?v=FB8h1Ljzc0s

オウムなんとか教もびっくりするとんでもないサブミナルCMである。とくに最後ロケットが飛ぶところなど意味が分からない。

でも笑ってしまったんだからここに入るしかないと思った。過ち1である。

僕は一番近い代ゼミの津田沼港に見学に言った。僕はすぐに悟った。こんな田舎にかわいい子はいない。

僕は代ゼミならば都会にある、ファションの聖地原宿の隣駅、代々木の本校にいかねばと決心した。過ち2である。何が楽しくて僕は総武線のラッシュに毎朝、もまれていたのだろう。

そして僕は入塾前のテストでかなりいい成績をとり、一番上のクラスになった。過ち3である。僕はその日から亀とウサギのウサギになり、井の中の蛙になったのだ。

第二章「類は友を呼ぶ」

類は友を呼ぶ。つまり同じようなやつが友達になるというなんとも希望のない言葉である。美女美男のグループなんて、どんな格差よりもつらいじゃないか。まあ、この類は友を呼ぶだが、僕はそれは「不思議な運命で~」とか、「なんとなく雰囲気が似てたからそれで~」とか、「知らぬ間に友達に~」とか、そんなもんじゃないことをしっている。類は友を呼ぶのではなく、生活リズムが同じやつは知り合いになりやすいのである。


僕は死ぬほど平気で微妙な10分遅刻をしてしまうなんともしょうもない男だ。案の定代ゼミの記念すべき初授業も僕はしっかりと10分遅刻をした。

そしてそんなしょうもない男なんてのは大抵もうひとりいるわけで、僕は僕より先に教室のドアの前でどうやってばれないように教室に入るな悩んでいる男を発見した。

でもそんなの悩んでるならまずはここまで来れたことを讃えようということで、僕たちはさっそく代ゼミで一番乗りとなるタバコ開拓者となった。誰も使っていない灰皿に僕たちは最初の吸い殻を投じた。このときから僕たちは終わっていたのである。

そんな遅刻一番乗りの彼は鹿児島からきた、ひょろひょろボーイだった。なんとも彼は現役時代に今僕が通っている立教大学に合格していた。そしてそんなかれは今、僕の現役時代の最終ラインだった、明治学院大学に通っている。まったくこの男は浪人ではなく東京に遊びにきただけだったのだ。

そんな鹿児島君は浪人ではなく、遊びにきたもんだから渋谷、原宿、新宿の開拓の速度は西部劇のガンマン並みに早かった。そして彼はどんどんおしゃれになった。パーマまでかけ始めた。社長息子のパワーで寮を抜け出し、九月にはマンションを新宿に買ったのだ。そして僕はいつの間にか彼と同じセブンスターをすうようになった。


僕たちはどんどん勉強が義務になり、アメリキャンサラリーマン化していった。つまりサービス残業や、30前出社などの悪慣例にとらわれず、プライベートと仕事をきっちり分ける、日本人がうらやむライフスタイルを確立したのだ。月から金の九時から五時まで勉強をし、それ以外は遊びまくった。でも女がいない。

さきに大学という楽園へいった友人達は学校のブランドを武器に「合コン」をしまくっている。

僕たちは立ち上がった。今の現状を打破するには合コンしかないと思った。幸いにも予備校の変態戦士西山君が男子校出身という地の利を生かし、電話一本で合コンを取り付け始めた。僕たちは彼の電話姿を、立てこもり犯と交渉する敏腕ネゴシエーターと重ねて見守った。ここからが悪夢の始まりである。

「久しぶりーー元気あったー、俺も元気だよー、あ、合コンしなーい?」変態西山はなんともまあ、単調でつまらない誘い方をした。僕たちは不安になった。しかしそんなつまんない西山と友達な女のこも当然そんな会話を毎日しているようで


「いいよー」

西山が僕たちに親指を立てた。ぼくはちゃめっけいっぱいに小指をたてた。しかし次の女の台詞は僕たちにギガデイン級の衝撃を食らわせた。

「で、いったいどこのひと」


ここでのどこの人とは決して国籍や出身地ではない。「日本の人だよ」なんて冗句を言ったとしても軽く流され、また「で、いったいどこのひと」と聞かれるのだ。女が聞きたいのは肩書きである。合コンとはまずは肩書きの勝負で、肩書きにより女の気を引き、合コンという土俵がセッティングされるのだ。しかし僕たち浪人生は肩書きがない。学生でもなければ社会人でもない。ましてや、進路が決まり三月に高校生が取る運転免許などもってるはずがない。身分証明書は保険証だけという何とも情けない身分でなのである。

「、、、代々木ゼミナール」西山が苦虫をかんですりつぶして、鼻からだしたような声で言った。僕たちはタバコを吸って哀愁漂う寂しさをかもしだす準備をした。

「、、、、勉強がんばってね」電話はきられた。西山はまあ、まだ何人かいるからと陽気に鼻歌まじりに電話帳をあさった。


僕たちのネゴシエーターはそこから二人に電話をかけ、悪夢を繰り返した。

「で、いったいどこのひと」

「、、、代々木ゼミナール」

僕たちは勉強をすることにした

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