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第2話 ヨットのしろうとが3週間でドーバー海峡を渡って、そのあとさらに6つの海峡を制覇してしまった話。

Image by Olia Gozha

葉山での初ヨットのあと、その話を仲間たちに話しまくったら、おれも乗りたい私も乗りたいという人が続出して、ぼくは土日だけじゃなく平日もヨットに乗りにいくようになった。

ボスもすっかり夢中になって、朝起きると、

「今日、乗りませんか?」

とメッセージが来て、急いで出かけるということもよくあった。仕事は、まあ、なんとかした。

その点、ぼくは自営業者なので、融通がきくのがよかった。ちなみに、ぼくは29歳のときに司法書士の資格をとり、翌年から自分で事務所をやっている。

それまでは、新卒で証券会社に入り2年ともたずに辞め、バックパッカーを少しやって、惣菜屋の店長を2年やり、辞めて司法書士、といった感じだ。自分としてはいろいろあったような気もするが、他人から見たらとくに面白くもないプロフィールだ。


ぼくらのヨットは、ほんとうは2人とか3人とかで乗るくらいの大きさなのだけれど、乗りたいと集まるメンバーが多くて、とてもそんな感じでは回せなかったので、5人とか6人で乗っていた。

その様子を見ていたマリーナの人とか、ほかのヨット乗りからは、「危ないから人を減らせ」と言われていたのだけど、「ぜんぜん大丈夫じゃん」と思っていた。今では、心配させてしまって本当に申し訳なかったと思っているし、重大な事故がおこらなくてよかった。

たくさんの仲間とヨットに乗って、終わったあとは食事をしながら、語り合って、ヨットに乗るということが、ただただ楽しかった。

明確な目的とか目標なんてなくて、いや、目的はあった。素晴らしい風が吹いたときの、セール(帆)がバーンと力強く風を受けて、ヨットが斜めに傾きながらスピードを上げていき、顔や体に波しぶきがかかって、どこまでもいっちゃうぞバカヤローという、そんな気持ちの良さをひたすら求めていた。


あるとき、天候が悪くてヨットに乗れない日があった。

そうなのだ。ヨットは自然が相手のものだから、いつでも遊べるわけではないのだ。

風が強すぎても弱すぎてもダメだし、大雨だったり、カミナリなどはもってのほか。

マリーナに行ってもヨットに乗れないという日も何回かあった。そういう日でも、ぼくたちはクラブハウスでロープワークの練習をしたりして遊んでいたのだけど。

その日は、もう、東京を出る前から、「今日はダメだな」ということがわかっていたので、マリーナに行くのはやめて東京でみんなで集まって、ミーティングをしようということになった。5月の下旬くらいのことだ。

ミーティングといっても、とくに議題があったわけではなかったと思う。とにかく、集まって、これからどうやって遊んでいこうかという話をしよう、そのくらいだったような気がする。

六本木に集まってランチをすることにした。

いきなり、集合のメッセージがみなに送られる。

ぼくみたいに自営業だったり、外回りの営業マンとかは多少自由がきくのだけど、なかには昼休みに会社を抜け出して制服のままで来た人もいたり、もちろん仲間たち全員が来れたわけではないけれど、20人くらいは集まったような気がする。

どうやってその話になったのか、流れはまったく覚えていないが、とにかく

「ドーバー海峡を渡ろう」

ということになった。

ドーバー海峡というのは、名前だけは聞いたことがあるかもしれない。イギリスとフランスの間の海峡で、映画とかになっているダンケルクという場所があるところだ。

直線距離にするとだいたい40kmくらいで(どこからどこまでにもよるけど)、大型フェリーやタンカーが走っているので、ぼくらが乗っているサイズのヨットなんかとてもじゃないけどお呼びではない。

おお!やろうやろう!

と盛り上がり、「じゃあ、いつやろうか」、という話になった。

ここがぼくらの面白いところだと思うのだけど、1年後、とかはまったく頭に浮かばなかった。

「ボスの誕生日が来月だからその日に渡るのがいいんじゃない!?」

となって、場はさらに盛り上がる。

するとボスが、

「いや、新しい1年の始まりはドーバー海峡を渡った人間として迎えたい」

と言った。カッコいいことを言うのだ、ボスは。だからみんながついていくのだけど。


ボスの誕生日は6月20日である。6月19日に渡ることが決まった。

では、誰が行くのか?

ぼくはそのとき、「ヨット部の部長」ということになっていたので、当然ぼくは行く。

でも、内心、「仕事をそんなに休むことができるだろうか?」とドキドキしていた。していたけれど、そんなことは口に出せるわけもない。やるしかないと腹をくくった。

正月休みとか夏休みでもないのに、1週間も仕事を休むなんて考えられなかった。

しかし、意外にも、続々と手が上がり、そのときそこにいなかった数名も加わって、ぼくとボスを含めた8名がドーバーに行くことになった。


たぶん、どこかのヨットスクールに通って、基礎からしっかり勉強していたら、ドーバー海峡を渡るまでには何年もかかったのではないかと思う。いや、やればやるほど、そんな無謀なことはできないと思うのではないか。

でも、ぼくたちは自己流で勉強して、練習して、そして、やりたいことへの制限を設けるのが大嫌いな人間たちの集まりだった。

やるならカッコいいことをやりたかった。

「ドーバー海峡」って、ほかのどこの海峡よりもカッコいいと思うのだけどどうだろうか。


意気揚々とランチミーティングを終えたぼくたちであったが、冷静に数えてみると、日本を出発するまであと3週間もなかった。

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