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節電虫の誕生 4.2 成長期待と挫折 4.2.3.3 個人、企業の環境意識 公的助成

Image by Olia Gozha

一方、この時期、1995年の春、私は節電虫(益虫)の研究開発を私的な開発研究一辺倒の姿勢から脱却させ、又、メディアでの記事紹介によるPRだけに依存せず、公的な認知をいただくことも戦略的に重要である、という意味から、1995年度の広島県研究助成対象事業認定手続申請を行っていました。

1995年6月14日の第一次書類審査は申請案件中トップでクリアしていました。米倉教授からいただいた返事で勇気づけられた私は数週間後の7月の第二次面接説明審査会では省エネルギーと環境保全に対する考えと取り組みを更に熱を込めて審査委員の方々に説明しました。

その結果、この節電虫(益虫)開発研究が平成7年度(1995)広島県研究助成対象事業の一つに認定され、第二回目のテスト生産販売と技術改良目的で節電虫(益虫)100台を試作生産し開発が継続できるメドをつけることができました。

この平成7年度(1995)広島県研究助成対象事業認定にあたって申請やヒヤリングへの対処を指導していただいたのが広島県立東部工業技術センターのデザイン部から広島県商工労働部工業技術課に課長代理として出向いておられた平田 勉氏でした。平田氏とは私の主業務が技術翻訳業ということで1980年代から工業技術センターでの研究論文翻訳業務を通じて面識があり、良好な関係を保っていました。

先に中小企業でも仕事の遂行にあたっては人的なネットワークが大切である旨、記述しましたが、またしてもそのネットワークが力を貸してくれたのでした。

第一回目の無料試用キャンペーンと販売(1994年12月~1995年春)で良い結果が得られなかった私は、第二回目の100台の試作節電虫(益虫)で効果的な市場調査を行うために、節電虫(益虫)のPRと環境意識についての私自身の考えを知ってもらう方法もこの時期に模索していました。時は節電虫(益虫)開発の2年目の後半で、1995年も暮れようとしていました。

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