「このまま頑張れないなら、もうあなたみたいな子はいりません」
「本当に要らないからね。」
母親の罵倒はまだ続く。
もうヒートアップしすぎて冷静に言葉を発しているようにはみえない。
まだ幼く純粋な気持ちで
『ママに認められたい』
という思いと、
でも『楽しくないからどうしたら良いのか分からない』
そんな二つの思いが娘さんの涙腺をも簡単に崩壊させる。
今まで褒められて嬉しかったことも
楽しかったことも頭に浮かびグシャグシャになっているのかもしれない。
そんな情景を頭に浮かべてしまった私も、目頭が熱くなる。
「あなたみたいな子はいりません」
母親は厳しさで出した言葉かもしれないが、
娘さんにとっては重く苦しい言葉だ。
そんなこと言わなくてもいいんじゃないかと思う私の心は
相変わらず自分に言われているようにチクチク感じるものがあった。
しかし、母親の罵倒は止まらない。さらにヒートアップしていく。
「あなたさー、年下だからってスクールでカワイイカワイイってチヤホヤされるから自分の事かわいいとおもってるんじゃないの?」
『・・・』
鼻水をすする音だけが聞こえる。
「そんなの今だけだからね」
『・・・』
「あんたのその顔なんて直ぐに崩れるよ」
遂に、暴言といえることを言い出した。
こんなこと、厳しさでもなんでもない。
ただただ、自分にとってのこうあってほしい娘像からかけ離れていくこと、娘の気持ちや行動を受け入れることが出来ないことを
自分の苛立ちに乗せてぶつけているだけ。
しかも、大事な大事な娘に。
その娘のためにもならない。
その言葉を言われたその娘はどういう感情を持てば良いのか、
ただただ言われた暴言に『(うるせぇババア!)』と思うだけの余裕はない。
厳しいとはいえ大好きなママに言われたその言葉は、
巻き上げられない重い錨になって心の深くに沈んだままになるかもしれない。
その後、罵倒は落ち着いた。
塾から帰るお姉ちゃんを迎えるため別の場所で止まって少し離れた時間が
母親の心を和らげてくれたのだろう。
しかし、その離れた時間は私を悩ませた。
「(あ、飴持ってたな。あげよっかな、、、でも、なんて声かけよう。
『今いる状況が全てじゃないよ、安心して』なんて声かけても理解できないだろうな)」
余計なことかもしれないが、静かな車内ですすり泣く声が聞こえる。
そんな状況でその娘に何かしてあげたほうが良いのか?と悩んでしまうのは誰でもあるだろう。
だが、また別の考えが浮かぶ、
「(というか、そもそもオレが勝手に妄想してるだけで
ただただ悔しくて泣いてるだけかもしれない。
よく、卓球の天才選手なんかは子供の頃から負けず嫌いで悔しくて何度も泣いていたってみたことがあるし、)」
そうこうしているうちに姉と母が戻って来た。
お姉ちゃんを迎え、一緒に戻ってきてからは罵倒はしなくなった。
お姉ちゃんはこれまた優等生にみえる。
しかも心優しく、泣いている妹に詰め寄ったり
母親が話す妹のスクールの話に同調して責めることもなく
ただ隣に座る。
それだけで妹ちゃんは救われているかもしれない。
すすり泣く声も聞こえなくなった。
姉の迎えを待つ間、私と二人、車内に残される時間に
あれこれ考えていたのも
「無駄です」
と言われているように感じるくらい無言で優しく妹を包んでいる。
姉の優しさは強い。
対照的に、感情に任せて大事な娘に暴言を吐く母は、、、
と言いたいところだが
“暴言を吐いた”というところだけ切り取って母親も責めることは違うような気もする。
確かに、娘にかける言葉とは思えない言葉を吐いた。
だが、その言葉の裏には、子育ての難しさ、自分の持つ母親像との違い、
周りの人間関係、夫との関係。
そして、
「この子のが将来苦しまないため、良い生活が出来るために
厳しく叱らなければならない」
そんな、子を想う良心と
様々なものを抱え交錯し、のし掛かった末のことかもしれない。
この母娘の背景は分からない。
人間はそれぞれの環境、感情、出来事によって
常に自分が理想としている生き方ができるものではない。
他人のことなんて簡単に理解することも出来ない。
だからきっと、こんな感じでいいのかもしれない。
終わり